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第22回「来年の桜も」

 桜の開花時期が例年より1週間ほど早かったこともあり、入学式の頃には桜花の殆どが散り果て、今では青々とした葉が勢いよく生い茂り、夏本番を見据えて着々と蓄えつつある活力が鮮やかな色彩を通して伝わってくるようです。
 テレビのニュースを見ていると、各地の公園でお花見が催されて盛り上がっている様子が放映されることがあります。会社仲間なのか、友達同士なのか、桜花の風情とは無縁の次元で騒ぎ興じている人々も見受けられ、これまた春の風物詩かと思えば苦笑して済ませるのみです。
 「若手社員は花見の陣取りをせよ」との命を受け、部内の先輩上司とともに前日の夜から陣取りに行ったことがありました。場所はJR中央線・市ヶ谷駅近くの外濠公園。線路より一段上がった小高い所にある公園には遊歩道が通っており、それに沿って沢山のソメイヨシノやヤマザクラが植えられています。
 遊歩道沿いには「アルカディア市ヶ谷 私学会館」という施設があって、そこの宿泊者向けサービスとして、施設の前で咲く桜に施設側から夜間照明(ライトアップ)がなされていました。明るく照らし出されたその見事な桜の木の下こそお花見会場として陣取るには絶好のポジションに他なりません。陣取りに出かけた夜も、結構な人数の団体客が宴を楽しんでいる最中でした。「一体いつまでやってるのかな」などと勝手に気を揉んでいると、丁度22時を過ぎた頃にお開きとなって片付けが始まり、一行がその場を離れた瞬間に「それ行け!」と件の桜の木の下にブルーシートを敷くべく突進します。手際良くブルーシートを展開してどうにか陣取りも完了したと安心したのも束の間、今度は俄雨が降り出し、段ボール紙に油性マジックで社名を書いたもの(実際は雨に濡れて上手く書けず、なんとか「彫った」というのが本当でした)をシートの上に置いて、取り敢えずその日は帰宅しました。
 翌早朝、まだまだ肌寒いので防寒着を着て現地を再訪してみると、何人かのホームレスがシートを「持っていこう」としていたので慌てて制止したまではよかったのですが、当のシートそのものが雨の影響か泥だらけになっていて使い物になりません。すぐさま新しいシートを取り寄せ、交代要員が来るまでそこでひと眠りさせてもらいました。ただ、遊歩道を急ぐ通勤・通学者達からは心なしか冷たい視線を浴びたような気がしています。
 いよいよ夜が到来。警察から厳重なる火元管理を求められた上で大活躍するダルマストーブは5台、所属する部だけでなくあちらこちらの部の方々も飛び入りで大勢参加され、また参加者それぞれが競い合って段取りした食べ物や飲み物は豪華絢爛、私自身もこれだけのお花見を体験したことは初めてでした。
 宴もたけなわ、相当機嫌よく酔った部長が桜の木に登り始めました。豪胆な知性派として一目も二目も置かれ、私を含め多くの人から敬慕の念を集めておられた方が、衆人環視の中で酔って木に登るという行動に出られたことに大変な驚きを覚えるとともに、相当冷や冷やさせられました。その上、部長は木の上から「○×銀行人事部万歳!」と絶叫されたのです。周囲の花見客達は、「何だ、○銀の連中か」と妙に感心するやら呆れるやら、兎にも角にもうまく騙されていることになんぞ誰一人気付いていないようでした。
 お花見会も大団円を迎え、心地よい酔いを覚えつつ後片付けが完了した時に、部長が私の先輩上司と私の2人に声をかけて来られ、近くの居酒屋へと誘われました。
 部長は私達2人に語り始めました。「いやあ、今日は本当にありがとう。いい花見が出来たよ。しかしなあ、君達にとっては花見なんか毎年当たり前のようにできることなんだろうが、私は少し違った感慨を持っているんだよ」と関西弁独特のイントネーションで話されるので、続きの言葉を神妙に待ちます。「昔に腎臓病を患ってな、その時の医者に『来年の桜は見られない』と言われたんだ。泣けてきてな、あの美しい花をもう一度見られずに死なねばならんのかと。西行法師が『願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ』と歌ったけれど、それもかなわんのかと。だから今、こうして奇跡的に生き続けて花見を楽しむことができていることが無性にうれしくてたまらんのだ」。その瞬間、先輩と私は、誠に清らかで貴い人間の心情に触れたように感じました。酒杯を持つ手元から、部長の方へ視線を移すと、その目にはうっすらと涙が滲んでいるようでした。
 以前にも言及したことがありますが、日常生活は、気付いていないだけで、当たり前のことの集積から成ります。我々は無数の当たり前のことの連続の中で日々を過ごしているのです。しかも、当たり前のことには何の興味関心をも抱かず、極めて稀に発生する特殊な事象の方へ全意識を集中させているのです。ここにおいて当たり前のことは空気のように扱われ、その価値への配慮など微塵もありません。しかし、当たり前のことを当たり前のように得ることは、実は至難の業なのです。
 平素の地味で地道な活動の長い長い積み重ねがあってこそ、ようやく当たり前のことに与る機会を得ることができるのでしょうし、また、当たり前のことの価値に思いを致す「想像力」を発揮して、その本当の意味を併せて感じ取ることも可能となるに違いありません。
 得てして当たり前のことを価値あることと気付く時には、当たり前のことを享受できなくなっていることが多いものです。きっかけは天災、人災、病気、人間関係のもつれ等々様々あるでしょう。けれども、失って気付くのでは遅く、失う前にこそ「想像力」を働かせるべきです。
 今では幸せなことに大半の日本人が毎日の食事に困ることはありません。当たり前のようにお腹いっぱい食べられています。ですが、古代や戦時中はどうだったでしょうか。伊勢神宮の外宮では「日別朝夕大御饌祭」という神事が必ず毎日2回執り行なわれ、神官が起こした火で調理された御飯、御水、御塩などが神に捧げられています。今では当たり前となっている「食事ができる」ということの価値(ありがたさ)を気付かせてくれているのです。
 繁栄と繁忙の日々の陰に隠れてしまい、忘れ去られがちな「本当に大切なこと」を探し求めてさえいれば、きっと来年の桜はもっと美しく照り輝いて見えることでしょう。
 時は移ろいます。次なる季節に備えて、職務に邁進しましょう。ご安全に。

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