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第33回「最期のしあわせ」

 先日のこと、伯母が幽明境を異にしました。行年95歳。長寿であったとは言え、しばらく前から認知症を患い始め、老人施設に入所していました。施設入所の諸手続については、実際には私の父母が対応し、のち伯母の法律行為に係る判断能力等の関係上、弁護士に成年後見人に就いてもらったのですが、あれやこれやと各方面に奔走して段取りし、施設主催の行事に参加したり、お見舞いに行ったりしていた父が伯母よりも若くして先に逝ってしまったということは何とも運命の皮肉としか言い様がありません。
 少々おこがましい言い方をすると「お世話していた」という経緯からして、万が一の時には葬儀まではこちらで責任をもって挙げなければならないであろうと少し前から母とも相談していたところ、誤嚥が原因で体調を崩した伯母は病院に入院、水も食べ物も一切口から摂取することなく点滴だけで命を繋ぐこととなりました。時折お見舞いに行っても、恐らくこちらが誰かは認識できないなかで、しきりに手を軽く上下させるのみです。ゆっくりゆっくりと老体に点がれる一滴一滴の栄養剤を生命の頼りとしながら、病室のベッドという極めて小さな空間で過ごすこと約1年。それは、果てしなく続くかと思われるほど大変長い長い時間だったことでしょう。精魂尽き果て、生命力の最後の最後まで使い果たして、ある早朝に伯母は亡くなりました。病院に駆けつけて改めて見た伯母の顔は、すべての苦痛と苦悩から解放された、とても穏やかな優しい表情をしていました。只々合掌して「お疲れさまでした。やっと楽になれましたね」と心中に思うのみでした。
 以前にテレビの科学番組で、人間は亡くなる直前に脳から「幸福物質」が放出され、この上ない幸せな感覚に包まれて死を迎えることができる、と説明されていました。これは人間だけに当てはまることなのかはわかりませんけれども、少なくとも生命体としての人類が、死の恐怖を和らげたり回避したりするために、生物学的進化の過程において備えるに至った機能であるという見方も成り立つでしょう。ただ、この生物学的と言うか自然科学的な解説は、片方で哲学的あるいは宗教的な世界観の領域とも接触しかねないので、単純に評価を下すことは難しいのですが、伯母の場合も、あの表情から察するに、ただの苦痛の弛緩によってと言うよりも、幸福感の充溢を経て旅立ったと感覚する方が余程素直に捉えているのかもしれません。
 ここで告白めいたことを記すに、実は私、大いに反省しているのです。伯母が日に日に衰弱していっていることは、医師や看護師の説明を受けるまでもなくよくわかっていましたので、当然ながら「いつまで頑張れるだろうか」と心配している一方で、自分の手帳に埋められたスケジュールを眺めながらあれやこれやと思い悩んでしかめ面していたのです。人の生き死にが、たかだか一個人のスケジュールごときに左右されるものではないし、そうあってはなりません。地球は特定個人の都合を中心に回っている訳でもありません。こんな明々白々なことが、日常生活に忙殺されるなかでつい忘れ去られていたのでしょうか。葬儀の段取りにしても、準備すべきこと、確認すべきことが多かったとは言え、今から思えば事務的に「処理」しようとしていた嫌いがありました。
 ところが、葬儀に参列した親戚の皆さんと四方山話をしているうちに、自らの不覚に気付き、大いに悔やんだ瞬間があったのです。次から次へと語られる伯母の思い出話のひとつがきっかけです。ある親戚がお見舞いに行った時に、スマホに保存されていた犬の写真を伯母に見せたところ、伯母は「ワンワン」と笑顔で話したというのです。思考のレベルの話をしているのではありません。犬の写真を見て何かを感じ、その感情の発露として言葉を発して表現したという事実に意味があるのです。この話を聞いて、自分は何事かを忘れていたのではないか、とんでもない勘違いをしていたのではないか、と深く反省しました。棺に献花する際にも、悔悟の念強く、それ故に悲しみの心情は倍化されたのでした。
 有吉佐和子に『恍惚の人』(新潮社、1972年)という小説があります。認知症を患った舅・立花茂造、その世話はすべて嫁の昭子に押し付けられ、昭子は日々仕事と家事と介護に追われて心身ともに疲れ果てていました。そのため、時に茂造を邪険に冷たくあしらうこともあったのですが、ある雨の日、茂造を敬老会館に迎えに行った帰り道でのこと、茂造は急に立ち止まって、傘も構わずに雨に濡れながら視線を上へと向けたのでした。昭子がその視線をたどった先に目にしたものは、道の向こうの塀の中で葉を生い茂らせている立派な泰山木の木で、そこには目も覚めるほど美しく白い花が咲いていたのです。誠に堂々ときれいに輝いて咲く花、言い換えるならば「美」そのものに触れて感動する「心」を持った1人の人間を目前にした昭子は、茂造が確かに今「生きている」のだということを実感し、胸を衝かれたのでした。
 一体自分は何を考えているのだと情けなくなりながら、斎場で最後のお別れをする際に、もう一度伯母の顔を見ると、そんな私にも微笑んでくれているように感じました。何を今更勝手な解釈を、と言われればそれまでです。ただ、その微笑みは、此岸の人々への感謝とお別れの気持ちを込めたものであるとともに、彼岸の人々と楽しく談笑している姿を想起させてくれるものでもあるに違いありません。どう考えてもそうとしか見えませんでしたし、と言うことは、事実恐らくそういうことなのでしょう。この上なくやわらかな笑みです。
 生死の問題については、究極のところ人には左右できない部分があります。殺人被害や自死は別として、人間には寿命があり、どれだけ科学技術が進歩しても細胞耐用年数からして130歳ぐらいが寿命限界でしょう。記憶だけをクローンや機械に移転しても、それは本来の自己とは全く別人格、「別物」に過ぎません。つまりは、死を避けることはできない、「その時」は宿命的に必ず訪れ、なおかつ「その先」はよくわからないということです。わからないからこそ冥福を「祈る」のです。「その先」で幸せに語り合う人々を想像するということは、あるいは単なる強力な願望なのかもしれません。しかし、その願望こそが、人々の心に安らかで落ち着いたバランスをもたらしてくれる唯一許された「救いの方法」であると言えないでしょうか。
 誰の亡骸であれ、遺影であれ、それに目を向けて掌を合わせれば、何によって企まれたわけでもなく、自ずと何事かが語りかけられ、時に叱咤激励され、時に共に笑い、時に涙を流してくれるように覚えます。そのプロセスの説明は困難を極めますが、敬虔な心持ちになれる瞬間であることに異論はないでしょう。さらに言えば、生の尊厳性と同時に死の厳粛性を深く認識する瞬間、生と死の間に厳然と存在する境界を直視すべき瞬間です。
 少したりとも忘れてはならない大切なことであると改めて気付き、自戒した次第です。
 いつの間にやら時が過ぎ、桜の季節となりました。光陰矢の如し。第67期も最終コーナーに突入します。
 今目前にある仕事を確実に仕上げることができずして、来期以降の仕事が確実にこなせる訳がありません。基本を大切に、丁寧な仕事を心掛け、お客様に喜んでいただいた上で、気持ちよく工事をお引渡しできるよう全員一致協力して前進していきましょう。細かな心配りを絶やすことなく積み重ねていけば、来期以降も光を見い出すことができるはずです。ご安全に。

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