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第82回「吉野水分神社」

 これまでにも、季節を問わず何度か訪れたことがある吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)に参拝してきました。訪れたことがあるとは言え、直近では10年ほど前のお花見シーズンのことでしたから、久々の参拝でもあったのです。
 吉野。奈良県南部の吉野郡吉野町の辺りは、修験道の霊場にも連なる山岳地帯であるとともに、何と言っても桜花で有名な山稜であって、広く「吉野山」の名で知られています。いにしえより植えられてきたヤマザクラは約3万本。開花時期を迎えると、先ず標高の低いところから咲き始め、下千本、中千本、上千本、奥千本と順に山肌は花の色に染まっていきます。なかでも中千本の満開時は絶景とされ、周辺一帯は花見客で埋め尽くされるほどの賑わいを見せます。吉野山は何処を眺めても「朝日に匂う山桜花」の圧巻の美しさに満ちるのです。「一目千本」という言い方は、まさにこの様子を表しているのでしょう。
 また、この地は、古代より様々な歴史的事件の舞台となってきました。国の命運、天下の趨勢を左右する出来事が、大和の国(現在の奈良県)の山中奥深き所で発生し、あまたの人物の浮沈が繰り返されてきたことを思うと、鮮やかに照り輝く桜花にも一抹の悲哀をすら感じざるを得ません。桜花の宴に酔い、名所旧跡を巡り、名物料理には舌鼓を打ち、吉野本葛を始めとするお土産物の購入に夢中になったとしても、それ自体は花の季節であるが故に致し方ないところとは言え、華やかさや輝きに包まれた光景であればこそ、その影が静かに物語る諸行無常、因果応報の人間模様に寂寞の悲しみを覚えるのです。
 その吉野山の上千本に鎮座する吉野水分神社は、御主神を天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)とする御社です。大和の国には、その東西南北4箇所にそれぞれ水分神社があります。即ち、東西南北順に宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)、葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)、吉野水分神社、都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)の四社です。いずれも由緒ある神社で、創建年も飛鳥時代にまで遡り、社殿には国宝や重要文化財に指定されているものもあって、長い伝統と高い格式を誇る「信仰の場」として、太古の昔より人々の祈りの心が捧げられてきました。
 そもそも水分神社に祀られる水分大神とは、「水久麻里」つまり「水配り」、配水を司る神です。天空から降り注ぎ山頂から流れ来る水を、丁度具合よく田畑へ配分・供給し、五穀豊穣の恵をもたらすという御神徳は、常に旱魃と洪水の間で翻弄される民草にとって、どれほどありがたいものだったことでしょう。大自然に畏怖しつつ必死に生き抜こうとするか弱い人間の、せめてもの願い。その積日の願いが浸み込んだ社殿。柱、梁、壁、屋根のあちらこちらから、往時の人々の声が聞こえてくるような気がします。
 そうした水分神社四社のうちのひとつである吉野水分神社には、境内をぐるりと囲むように本殿、幣殿、拝殿、楼門および廻廊が配置され、また多くの社宝も蔵されています。石段を上って鳥居をくぐった先に建つ豪壮な社殿。静謐な空間と澄明な空気。何とはなしに霊気に触れたように感じられ、自然敬虔な心持ちになっていきます。穏静に歩を進め、神前に出でて、深く深く拝礼する。御礼と御祈願を申し上げるひとときです。
 ところで、吉野水分神社の御神徳は「水配り」だけではありません。というのは、「みくまり」が時間とともに訛って「みこまり」「みこもり」と言われるようになり、それが「身籠り」「御子守り」につながって、結果人々は水分大神を「子さずけの神」「子まもりの神」として、故にまた「母と子を守る神」として崇敬するようになったのです。神社社務所が発行する『式内大社 吉野水分神社子守宮略記』(「式内大社」とは平安時代の法規「延喜式」の「神名帳」に記載された大社格の神社のこと)にもあるように、有名な「吉野の花見」を挙行した豊臣秀吉が吉野水分神社で御祈願申し上げ、その御利益で秀頼が生まれたとされます。そうした縁で、秀吉の思いを継いだ秀頼自身が社殿を再建・寄進したのでした。
 もうひとり、江戸時代の国学者・本居宣長にも同じ様な逸話があります。宣長さんの父・小津定利と母・お勝との間には養子の定治がいましたが、実子はなかなか授かりませんでした。そこで定利は吉野の「子守大明神」に願をかけに行き、その霊験で宣長さんが生まれたというのです。宣長さん自身も、この御神恩と父母の恩愛を決して忘れることなく、深い信仰心をもって生涯に何度も参詣に訪れています。
 かくして、「母と子を守る」=「我が家族を守る」という御神徳と、「宣長さんつながり」もあって参詣の回を重ねてきました。ただ、ここまで何やかやと説明してきましたけれども、実はこれから書き記そうとする直近の参詣話とは、最近というよりは少しばかり前の時季のことで、桜花とは無縁の季節、体の芯まで冷え切るほどの寒さと、ほとんど人出のない寂しさに吉野山一帯が覆われた頃の話なのです。では、何故そんな時季に「わざわざ」吉野まで出かけたのか。それはつまりこういうことだったのです。
 皆さんもよくご存知のように、1年間お世話になった御札や御守りは、初詣の時などに神社の「古札納所」へ納めるものとされています。別に初詣の時に限定した話ではありませんが、大体が1年間の節目に様々な神社の御札や御守りを一緒にまとめて、参詣した神社の「古札納所」に納める方が多いでしょう。私も同様で、今年も初詣の際に家族の分も合わせて納めたのでした。ただこれまで、ひとつだけ「古札納所」に納めることなくずっと持ち続けていた御守りがありました。それが吉野水分神社の御守りだったのです。何故と言って、上述のとおり吉野水分神社は吉野山の上千本にあって、なかなか滅多に行けるところではありません。また、「母と子を守る」=「我が家族を守る」神様の御守りともなれば、1年経ったからと言って手離し、納めてしまうということはどうにも躊躇せざるを得ず、自己判断で「例外的に期間延長」して持ち続けることにしていたのでした。家族にもその旨を伝え、「この御守りはずっと持っているように」と念まで押していたのです。ところがしかし、ついついうっかりしていたというか何というか、今年はその御守りも一緒に「古札納所」へ納めてしまったのです。気付いても時すでに遅し。「そろそろ吉野山へ来いという神様のお告げか」などと事態を解釈したりしたものの、どうであれ「これはいけない。改めてすぐにでも吉野水分神社に参詣し、新しい御札と御守りをいただかなければ」と一念発起して「オフシーズン」の吉野へ出かけたのでした。しかしながら何と言っても「オフシーズン」。観光客はおろか宮司さんの姿も見えず、困り果てて連絡先に電話すると、やはり「この時期は無人管理となっています」とのことでした。そうか、前回参詣時は花見シーズンだったから授与品をいただけたのか……そうである以上、神前にて御礼と御祈願だけは念入りにさせてただき、御札などの授与品については後日現金書留をご送付して、その着後自宅まで郵送していただくことにしました。勿論、無事に家族全員分の授与品は到着、今では部屋に御札を飾り、御守りはいつも持ち歩いています。
 それにしてもです。あれほどの規模と格式を誇る神社で無人管理というのです。確かに、無人の神社が近くの神社の神主さんによって兼務管理されているという例はあるものですが、それとてどこまで続けられるでしょうか。それに宮司常駐の神社であっても、例えば帰途に立ち寄って特別拝観した宇太水分神社の国宝・本殿は、多数の協賛により修復を重ねてきたとは言え、檜皮葺の屋根他に損傷個所が散見され、境内神域を維持管理することがいかに難しいかを思い知らされました。神社だけでなく、全国の寺院、文化財を保管・展示する博物館などでも運営の厳しさが言われて久しいところではあります。どこもかしこも担い手の急減と資金の枯渇による「不足」に悩み、その解決策を見い出せないうちに世間の関心すら薄くなっていくという状況に直面すれば、神社仏閣等の当事者ならずとも、危機感を覚えるだけでなく、慄然とすらしてしまうでしょう。「効率至上主義」「損得勘定優先主義」「得手勝手主義」などの「ドライな当世風の理屈」が跋扈し、その原因のすべてを価値観や人生観の変化や「進化」などという説明で片づけてしまうという、呆れるほどの「大雑把さ」がこの状況の根底にあるとすれば、問題の根は思いの外深いと断ぜざるを得ないのです。ましてや先人達による歩みの集積たる伝統文化において、そんな状況を目の当たりにしてしまっては、根の深さどころか嘆息の深みに落ち込んでしまいます。
 このままでは伝統文化も至宝も消え去りかねません。これほど悔しく、もどかしいことがありましょうか。有意味、有価値とされるものを、何とかして持続させることはできないのでしょうか。「ドライな当世風の理屈」によって情け容赦なく切り捨てられようとする流れにブレーキを掛けられないものでしょうか。そも消え去りいくさまを傍観したり、無視したり、それに無関心を決め込むことは本来的に許されないのではないでしょうか。人間の営為、文化の深み、伝統の重みに今一度意識を振り向けなければなりません。それこそ人間が「考える葦」だと言うのならば、先ず「葦」の由来を知り、「考える」という特性を目一杯発揮することが不可欠で、「葦」であり続けることと、考え続けることを、無意識的にでも軽視することは、帰するところ自己否定につながるのです。破滅主義は論ずるに値しません。とすれば、世間の流行とか、一方的で有無を言わせぬ風潮とかを無反省に当然の如く受け容れてしまうのではなく、立ち止まって深掘りする目線で、人間が人間たる本当の由縁を探っていき、個人と集団とに通底する「アイデンティティーの背骨」、それは即ち決して放擲できないもの、必ず承継しなければならない「何ものか」を見つけることがひとりひとりに課せられた当然の責務になるのではないでしょうか。誰からも見向きもされずに放置され、悲しみと苦悶の声なき叫びを上げている「何ものか」に気付き、それを後世につなぐために微力ながら努めていきたいと思います。現在の自分が歴史的に過去から受け継がれてきた「何ものか」に寄り添っている(いや、その只中でしか生きられない)という現実は、むしろ私に「活力」を与えてくれているようです。ただし、我々にとって残余の時間は限られています。
 吉野の神々の御神徳。ここで今、感謝の仕方について考えているのかもしれません。
 早いもので、当期第71期も最終コーナーに入っていますが、「トンネルを抜けると、そこはまたトンネルだった」というような厳しい社会情勢にあり、景気も予断を許しません。
 今年は「ウサギ年」で、飛躍の年などと言われています。しかし、現在のような情勢にあればこそ、一時的・瞬発的な大ジャンプを図るのではなく、むしろ「カメの歩み」のように、派手さはなく、目立ちはしませんが、地道で着実な一歩を進めていくにしかず、です。なおまた、春の花に限らず、いつにあっても美しいもの見て美しいと思えるだけの、ほんの少しの心のゆとりを大事にして、ひとつずつ、一歩ずつ仕事に取り組んでいき、それを見事完成まで導いていきましょう。ご安全に。

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