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第258回 コンクリートの歴史

 伝統の三河花火が岡崎宿を七色に染める。8月3日(土)に堂々と開催されたのが、徳川家康公顕彰4百年をお祝い、文化と伝統を重んじる乙川河畔での大花火大会です。フジケン牧会長のご招待で桟敷席に陣取りました。冷やした缶ビール、枝豆に割子弁当。二万五千発の花火でキラメキ花の興に酔いました。一生の思い出ででしょう。「そりゃそうさ、家康公が江戸へ花火師を伴い打ち上げたのだから、岡崎花火は、ナンバーワン」と自慢話しに花が咲きます。川には金魚花火、チントロ舟では手筒花火。大空には大スターマイン。交通整理はDJポリス。悪くない一夜となりました。
 相場は売った途端に高くなります。買った途端に安くなります。これでは失敗は当然です。財産も減るほかはありません。そんな日がある代わりに逆の日もきます。あせらず騒がず、日々に努力を楽しむ。何事も耐え忍ぶ。その明るい落ち着いた心が、次の好運をひらくことにもなります。一年中吹いた嵐はありません。嵐はきっとやみます。その時伸びるものは、嵐の中でも心丈夫に、明るく働きつとめた人です。とにかく、誠実と明朗と、努力精進がいかなる場合にも好運を引き寄せる力となります。一瞬に散る花火も耐え忍ぶ努力があったから楽しめるのであり、好運を引き寄せる力となるのです。
 康生ビルの耐圧盤は、コンクリート3000?。鉄筋400tからなります。免震装置を受ける基礎です。そこで、コンクリートの歴史を繙いてみましょう。コンクリートの歴史は古く、イスラエルで約9000年前に作られたものが最古だといわれています。中国では西安で発掘された遺跡のコンクリート構造物が約5000年前のものです。有名なのはローマ帝国で、約2000年前に橋や水道などの建造物がコンクリートで整備されて文明を支えました。この後、現在のコンクリートが登場するのは1824年イギリスです。これが日本に輸入されたのは江戸時代末期の1865年で、まだ150年も経っていないことになります。コンクリートが国内で本格的に普及したのは戦後になってからのことです。コンクリートは古くも新しい資材なのです。なんと康生ビルの総量は21,000?もあり、我社の一年間の消費量は因みに63,500?となります。

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