IWABEメッセージ
第18回「目前の扉」
「静まれ、静まれ、静まれ!この紋所が目に入らぬか!こちらにおわす御方をどなたと心得る!恐れ多くも前の中納言、水戸光圀公にあらせられるぞ!一同の者、御老公の御前である!頭が高い、控えおろう!」……ご存知テレビドラマ『水戸黄門』のラスト1番の見せ場です。三つ葉葵の御紋の入った印籠(薬入れ)を見せつけられた悪党どもは皆ひれ伏し、一網打尽となって一件落着、水戸老公一行は次なる目的地へ向けて諸国漫遊世直し旅を続けるのです。
何故歴史、特に日本史に興味関心を抱くようになったのか。そのきっかけは、小さい頃から見ていたこの『水戸黄門』にあります。「あの印籠を見せると、どうして皆ひれ伏すのだろうか」。小学生の疑問です。
インターネットの無い時代にものを調べるには、何と言っても百科事典にご登場願わなくてはなりません。そこでページをめくりながら調べていくと、芋づる式に色々なことがわかってきます。先ず、「水戸黄門」の本名は徳川光圀(とくがわみつくに)で、徳川家康の孫、御三家の1つ水戸徳川家2代目藩主、『大日本史』という歴史書を編纂、権中納言(ごんちゅうなごん。中国風に言えば「黄門」)の官職に叙任、将軍を補佐して「天下の副将軍」と呼ばれ……、とここまで来ると、次は「徳川家康とはどういう人物か」、「徳川家とはどういう家柄か」、「御三家とは何か」などの疑問が湧き、さらには岡崎や名古屋にも関連する城郭などの史跡が多いことが分かって実際に訪れてみる……。そのうち江戸時代だけに関心は止まらず、古代へ、また現代へと時間軸は延ばされ、果ては世界史へと空間的にも視野は拡げられることになるわけです。すべてはあの「印籠」がきっかけだったのです。
毎年香川県高松市の岩部八幡神社に参拝に訪れますが、高松藩の初代藩主・松平頼重は徳川光圀の実兄で、頼重の子の綱條(つなえだ)は、光圀を継ぎ水戸藩3代目藩主になります。また、いつもお世話になっている老舗料亭・二蝶さんには「葵の間」という部屋があり、徳川家との縁を感じますし、大女将の徳永尚子さんは、徳川家康生誕の地・岡崎のご出身ということもあって、様々な事柄が思わぬところでリンクしていることに不思議な感覚を覚えます。
蛇足を承知で付け加えると、実際の水戸黄門、つまり徳川光圀は諸国漫遊の旅には出ておらず、『大日本史』編纂のために自らの家臣を全国に派遣して資料収集していたとのことで、その中に佐々介三郎(さっさすけさぶろう)と安積覚兵衛(あさかかくべえ)がおり、この2人が所謂「助さん格さん」こと佐々木助三郎と渥美格之進のモデルになったと言われています。勿論、風車の弥七やうっかり八兵衛は創作されたキャラクターでしょう。(『大日本史』全397巻の完成は明治時代に入ってからのこととなりますから、水戸藩の総力を傾けた偉業であったと言えます。)
それにいくら武家社会における徳川家の権威が強かった時代とはいえ、現実には他国の領内で印籠を振りかざして「世直し」するなどということはあり得ないことでした。また、いくら権威があろうとも、黄門様は「従三位(じゅさんみ)権中納言」です。世の中には大納言も大臣も居ます。ドラマでも、黄門様より官位が高い悪者が黄門様に従わないという場面が出てきて、こういう場合はさらに官位が高い公家が現れて悪者を諫めることになるのですが、これとてドラマならではのフィクションなのです。
三つ葉葵の家紋にしても、将軍家と御三家とでは微妙にデザインが異なります。こうしたことも、興味や疑問が湧いて突き詰めていく中でわかったことです。
「あの印籠を見せると、どうして皆ひれ伏すのだろうか」。この素朴な疑問の発生は、まるで目の前に大きな扉が現れたようなものだったのです。恐らくその扉の向こうには疑問への解答が待ち構えているのではないかという淡い期待感を抱きながら、素通りせずに、労をいとわずに扉を開けてみようとするのです。時にその扉は大きくて重く、また時に鍵がかけられているようでなかなか開きません。その上、開いたと思ったらまた別の扉が現れ、必死の思いで時間をかけてそれを開けたら、また違った扉が目に入ってくるなどということすらあるでしょう。
人間は様々な事象に興味関心を抱く感受性を持ち合わせており、人それぞれに感度こそ異なれ一定のアンテナが備わっています。これは好奇心と言い換えてもよいのかもしれません。その強さは、5W1H(Whenいつ、Whereどこで、Whoだれが、What何を、Why何故、Howどうした)を問い続ける意欲に比例しています。問い続けはある意味エンドレスです。また問い続けることは、まさに学び続けることと重なります。仕事でも何でも、終点なく学び続けながら知識技量が蓄積され、研ぎ澄まされ、極められていくものであるに違いありません。日常の職場でも、問い続け、学び続け、考え続け、それを受けて実行してみて、また問い続け、という不断の営みが、直面する課題を解決するためだけでなく、さらなる高みを目指すためにも極めて重要不可欠であるということはおわかりいただけるものと思います。
無限に続く扉を目前にして、放置したり、気付かぬフリをしたり、無関心を決め込むなんぞ、ただの逃げに他なりません。答えを求めて扉を開けてみるべきです。根気よく、面倒臭がらずに扉を開け続けてみるのです。そこにおいてこそ本当の意味で自ら主体的に考えていることになるのです。いや考えなくては、本物の仕事はできないはずです。
かつて会長が言っていた「常に考える」とは、まさにこうしたことを意味していたような気がしてなりません。常に考えることは、自ら進んで目前の扉を開け続けてみることなのでしょう。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」。重い扉も軽い扉も色々です。何かキラリと光る素晴らしい答えに巡り会えた時には、黄門様のように「カッ、カッ、カッ」と気分良く笑えたら最高ですね。
皆さん、今年も1年間本当にご苦労さまでした。来年もどうかよろしくお願いいたします。よいお年を。ご安全に。