IWABEメッセージ
第6回 「問うこと」
対談集が面白い。学者や評論家、政治家などの対談集も面白いですが、何と言っても面白いのが 「芸談」 です。様々な芸能者が、時に語り手に、時に聞き手になって 「技芸」 について語り合う中に、打ち明け話的なエピソードが展開され、本人の素顔を知ることができる点にとても興味をそそられます。 「話し言葉」 で表現されているので、分かりやすく、 臨場感も伝わってきます。
例えば、小沢昭一、桂米朝、立川談志、高田文夫などの対談集は秀逸だと思います。 高田文夫は聞き手の 「分限」を越えて語り手よりも明るくはしゃぎ、対談を独自のペースに引き込みます。 立川談志は、落語界のアウトサイダーぶる正統派として奔放に語り続けます。 桂米朝は、ご存知人間国宝にして文化勲章受章者、上方落語中興の祖、自身 の圧倒的な知識・経験を背景に穏やかに言葉を伝えます。小沢昭一は、俳優・タレント・芸能研究家として軽妙に 「小沢昭一的こころ」 を繰り広げます。
『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』(平成12年 朝日新聞社刊)という本があります。 桂米朝と上岡龍太郎が、しゃべくり漫才で有名な夢路いとし・喜味こいしを招いて、4人で昭和の関西演芸界を彩る懐かしい芸人達のエピソードを語り尽くすというものです。 有名無名の芸人達の可笑しくも哀しい人生、命がけのプロ根性などなど話題に事欠きません。私が注目したいのは、聞き手・上岡の聞き上手なところです。聞き手とは言え、訊き手でもあります。身近な話題から説き起こし、自身の体験も織り交ぜながら、大先輩達の貴重な記憶を引き出そうとするのですが、そこには少しの嫌みもなく、終始関西弁で笑いの絶えない和やかな雰囲気作りがなされています。勿論4人はそれぞれ相手を尊敬し、謙虚な語り口で芸談は進んでいくのです。
昔、文芸批評家の小林秀雄は 「いかに答えるかということも難しいが、いかに問うかということも大変難しい」と述懐していました。
どのような答え方をすれば相手に伝わるか、そのためには何を知っていなければならないか、と思い悩むことは多々あります。 しかしその一方、相手から的確な回答を得るためにはどのような聞き方・問い方をしなければならないかを思い巡らさなければならない状況もあるわけです。漠然とした曖昧な質問には的外れな答えしか返ってきません。このような状態では聞き手も答え手も満足できずストレスを感じて終わるのみでしょう。いかに問うか。それは、自分自身が問題点を明確に認識し、確認すべきことを整理して、筋道の通った簡潔な表現で、焦点をぼかさずに相手に聞くことに尽きるのではないでしょうか。私自身、日常生活を振り返り、多くを反省しつつ、聞き手の名手と語り手の名手との華麗なるキャッチボールの妙を読後に味わっているところです。
さて、いよいよ今年平成28年も残すところあとわずかとなりました。
会社としても大きな分岐点を迎え、同時にありがたいことに忙しく仕事に励める機会を与えられています。お客様に感謝し、当社社員とそのご家族の皆さんには心より御礼申し上げます。
来年もよい年となりますよう、皆さん一致協力して進んでまいりましょう。
それでは皆さんのご健勝とご多幸を祈念して。よいお年を。ご安全に!