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第25回「今月今夜のこの月は」

 先日熱海へ行ってきました。昔は新婚旅行のメッカとも言われ、観光地としては大変な賑わいを見せていた熱海も、次第に活気を失い、全国にある温泉地によく見られるように衰退の一途を辿っていると聞いていました。目新しさに欠けて飽きが来ただけでなく、日本中のあちこちに次々と斬新な観光名所やテーマパークなどが登場したため、次第に人々から顧みられることがなくなっていったのでしょう。
 ところがです。その熱海が元気を取り戻しているというのです。小さい頃に初の家族旅行で出かけた先が熱海だったこともあり、「今の熱海はどうなっているのか」という好奇心も沸いてきて、ひとつ湯につかりに行ってみようということになった訳です。
 驚きました。熱海駅に降り立った途端の大混雑。駅ビルは真新しくなり、駅前の仲見世商店街も平和通り商店街も観光客で埋め尽くされてなかなか前へ進めません。海岸方面へ向かうと旅館・ホテル群が目に入ってきます。不況の残滓も多少は見受けられますが、各宿とも化粧直しや改修に力を入れて一工夫二工夫を加えており、どこもほぼ満室状態でした。年中こうだとは思えませんが、記憶の彼方に置き去りにされていた昔ながらの温泉地がふとした拍子に思い出され、「そうだ、熱海があったじゃないか」と逆に新鮮に感じられて人気を取り戻してきたのでしょうか。
 宿を出て海岸沿いを散歩していると、「お宮の松」(初代のものは枯れ果てて切株を残すのみ。現在の松の木は2代目)と、その横にお宮を蹴り飛ばす貫一の像が建てられています。記念撮影スポットとは言え、今の時代に「貫一・お宮」を知っている人はどれくらいいるのでしょう。
 明治の文豪・尾崎紅葉(おざき こうよう)の代表作『金色夜叉(こんじきやしゃ)』は、読売新聞に断続的に連載された小説で当時の読者から絶大なる人気を博しました。『金色夜叉前篇』『中篇金色夜叉』『後篇金色夜叉』『続編金色夜叉』『続々金色夜叉』『新続金色夜叉』と書き続けられたものの、紅葉が病没したため作品としては未完に終わりました。(紅葉の弟子で半田出身の小栗風葉[おぐり ふうよう]が創作として『金色夜叉終篇』を書き継ぎました。)
 文章は明治期小説文体の1つで、所謂「雅俗折衷体」で書かれており、地の文は文語体、会話文は口語体が採られています。(この時期は男性も女性も「彼」と表現したので、読み始めは少し混乱します。)「時代」を感じる古めかしい表現で、時にくどく、何ともまどろっこしく感じて「もっと簡潔に描写しても作意は十分伝わるのに」と思うこともしばしばあるにせよ、紅葉の凄まじい語彙力や豊かで格調高い表現力には素直に驚嘆せざるを得ません。
 それで肝心のあらすじです。今では身寄りのない間貫一(はざま かんいち)は第一高等中学校(現在の東京大学)の学生で、彼の亡父に世話になったという鴫沢(しぎさわ)隆三の家に寄宿しています。隆三夫婦には宮(みや)という娘がおり、貫一の許婚でした。2人は相思相愛、幸せそのものに見えましたが、そこに富山(とみやま)銀行創設者にして東京市会議員・富山重平の息子で俗物の唯継(ただつぐ)が登場し、宮と結婚しようとします。隆三夫婦のみならず、宮までもが富山家の資産と唯継の指に燦然と輝く金剛石(ダイヤモンド)に目がくらみ、貫一との結婚は破談となってしまいました。逃れるように熱海へ出かけた宮を追った貫一は、海岸で宮と遭遇し、自分への裏切りに激怒します。言い訳をしようと取りすがる宮を貫一は足蹴にし、2人は涙のうちに別離するのでした。ここで貫一の名台詞、「宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜限だ。……来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!……来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから……月が雲ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」。無念の叫びです。
 宮への怨念か、世の不条理への抵抗か、この後貫一は退学して冷徹極まりない高利貸し、拝金主義の鬼神「金色夜叉」へと変貌します。(作中「高利貸し」を「氷菓子」と掛けて「アイスクリイム」と呼んでいます。)宮は唯継と結婚するも薄倖で病弱となり、ひたすら貫一への謝罪を希います。男女様々な登場人物が複雑に入り乱れて浮沈を繰り広げながら、次第に貫一には宮を赦す気持ちが芽生えつつ、他方宮は人生に悲嘆して生への諦念を抱き始め、しかも2人は真情を吐露して交差する機会を得られぬまま、ストーリーは未完となるのです。
 どうして宮は富山家に嫁いだのか。本当に富山の財産に魅かれたためだけか。熱海の別離の時に宮は「考えている事があるのだから最少し辛抱して」「言い遺したことがある」と言っているけれどもそれが何か全篇通して今ひとつよくわかりません。ただ宮の心に魔が差したということは間違いないでしょう。
 人間にとって、それがどれだけ知識・経験を積んだ人であっても、どれだけ注意深く慎重に行動する人であっても、永続的に緊張感を保って思考したり、行動選択したりすることは至難の業です。意識としてそうあるべきだと思い続けることはある程度可能だとしても、やはり「言うは易く、行うは難し」です。人間の思考や言動には、正しさの基準を逸脱し、理知や冷静さを失って情念を優先させてしまう瞬間があります。それはほんの一瞬の判断の誤りであり、別の表現を使えば、油断、隙、出来心、気の迷いとも言え、そこに幾ばくかの慢心、邪心、虚栄心が加わっている場合もあります。まるで悪魔が心に入り込んだようだからこそ「魔が差す」という慣用句も生まれたのでしょう。
 これが現実です。この現実を受けて、恐らくゴールは見えないながらも、それでもよりよき方向へと軌道修正を重ねること、この「努め」を避けず厭わず続けることこそが、有限の人生の中でも必死に息づく真っ当な人間の姿に思えてなりません。
 「熱海の海岸散歩する貫一お宮の二人連れ~」とは宮島郁芳作詞・後藤紫雲作曲の歌謡「金色夜叉」(大正7年)の歌い出し部分です。歌詞を口ずさみながら、今は賑やかな熱海の海岸より遥か太平洋を望んでいるとあれやこれやと思いは巡ります。
 いよいよ第67期がスタートしました。1年は早く、しかも起きる事柄、やるべき事柄は息つく間もなく目前に現れます。良い時も悪い時も全員一致協力して前進し、素晴らしい成果の上がる期にしましょう。
 暑さ本番を迎えます。健康第一にて。ご安全に。

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