IWABEメッセージ
第28回「みなとまちとみらい」
「日本人は年末になると、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏しようとする。どこもかしこも『第9!第9!』と恒例行事のようなありさまだ。しかし、私は第9を滅多やたらと安易には振らない。それは第9が嫌いだからではなく、逆に大好きで、自分にとってはとても大切な曲だからだ」。確か指揮者の岩城宏之がこのようなことを話していたのを覚えています。
生まれてこの方、特に思い出深く大切な街が3つあります。それは、金沢、横浜、東京です。街とは、風土であり、文化の息づく礎であり、また出会う人々が様々に交錯して時を刻む空間であるに他ならず、さらに言えば、私にとって「第9」にあたる街は金沢なのです。そのため、この心の故郷については、簡単に、安直に、滅多やたらに語ることはしませんし、大切な、とても大切な宝物として、もし表現する機会が訪れたとしても、まるで寡黙な人間がぽつりとつぶやくようにして言葉を紡ぎ出してみたいと思っています。ある時、「金沢について書かないのか」と問われたことがありましたので、念のためここに記す次第です。
さて、今回の舞台は、先日出張で久々に訪れた横浜です。
以前にも書きましたが、横浜は、我が社会人生活スタートの地です。入社当時は同期連中から「お洒落な大都会が最も似合わないのに赴任した」と半分冗談めかして言われたり、また半分羨ましがられたりもしたものです。私としては、山奥の素朴な田舎町でのんびり生活したかったのが本当のところ、当時はバブル景気真っ只中で、希望とは全く真逆の、寝る間も無き繁忙の激流に飲み込まれていきました。横浜港の埋立地・みなとみらい地区では丁度ランドマークタワーが建てられている頃でした。
久しぶりに横浜の街を歩いてみると、その相貌変化著しく、そんな中にもよく通った思い出の店を見つけると少しほっとしたりしました。特にみなとみらい地区は激変です。オフィス、マンション、商業施設などの超高層ビルが所狭しと林立し、その夜景たるや圧巻の一言で、キラキラと光り輝く美しさはこの上なく、まるで未来都市が目前に現出したのではと錯覚するほどの見事な映像が視覚されました。「みなとみらい」の名のとおり、未来を見つめる横浜の真髄に触れたとも言えましょうか。勿論、この港町は、東京のレインボーブリッジ、鶴見つばさ大橋、横浜ベイブリッジといくつもの橋に囲まれた巨大な国際都市ではあるものの、中華街は言うに及ばず、港の見える丘公園、山下公園、元町、馬車道、伊勢佐木町など、異国の香り漂い、同時に日々懸命に生きる人々の息遣いを体感できる場所も数知れず、縦横に巡らされた交通網のおかげで東京、鎌倉、逗子、葉山、横須賀にも近いという「変幻自在な」顔を持ち合わせた、正に「異空間」なのです。出張当日の印象を少し気取って表現すると、「ハマは、雨の似合うマチ、物思いに耽りつつ笑顔も絶やさないマチ」という言い方も許されるでしょうか。
社会人1年生としては、街も仕事も何もわからないところからの出発です。法学部と言ったところでただの頭でっかち、建設業法など目にしたこともなく、経理・会計の「貸方・借方」なんぞ聞いたことすらない、それでも好景気による膨大な仕事量を不眠不休で取り敢えずはこなし切らなければならない、当然ミスの連発で叱られたり、呆れられたり、情けなくなったり……。事務屋として全く未熟なのに、忙しいからといきなり現場へ出され、見ること聞くことちんぷんかんぷんで嘆息する日も多かったのですが、心優しい先輩上司や同期達に恵まれただけでなく、堅物で気難しい技術屋さんとも妙にウマが合い、仕事に忙殺される中でも疲労感だけでなくささやかな充実感や達成感も覚えることができました。いわゆる現場所長の「女房役」とされる事務担当者(「事務担」)を任される頃には、細切れであれ若さ一本槍で必死に覚えた事柄が不思議にも有機的に繋がり始め、活きた知識となるとともに、自分なりのオリジナリティーをもった仕事の仕方ができるようになってきました。バブル崩壊で明暗逆転、担当する工事がすべて不良債権に変じ、次から次へと難問に直面した時も、活き出した「人と知識のネットワーク」の力が奏功し、どうにか切り抜けることができました。かくして、横浜での極めて濃密な時間が過ぎ、東京転勤までそれは続いたのでした。今となっては本当に懐かしく、よい思い出となっています。
「石の上にも3年」とはよく言ったものです。職業人として本領発揮できるようエンジンを温めるのに、やはり3年ぐらいは必要ではないかというのが実感です。およそ3年の間は、無意味に思えるようなこと、理解に苦しむようなこと、妙に遠回りに感じるようなこと、疲労が蓄積するだけのようなことのオンパレードです。しかし、それらのことがおぼろげながらに意味を持って見えるようになり、自らの血肉となっている事実に気付く時が必ず来ます。そこからは、少しずつ仕事の楽しさなり、醍醐味なりがわかるようになっていくでしょう。ですから、人それぞれ訳があるにせよ、3年待たずしてリタイアしてしまうことは本当に勿体ないし、惜しいの一言に尽きます。隣の芝生が青く見えても、また青い鳥が飛んでいるように見えても、先ずは今居るところが運命の場所と捉えて精一杯頑張ってみることです。3年経ってから振り返ってみても遅くはないでしょう。その時に、ほんの僅かでもクリエイティブな活動に参与しているという自覚、責務と使命感の狭間に垣間見える喜びという感覚の萌芽を見つけることができれば、先ずは自分の選択を良しとすべきなのではないでしょうか。
少し前のこと、次年度入社内定者の皆さんと会食する機会がありました。皆それぞれに個性があり、持ち前のバイタリティを遺憾なく発揮してくれるものと期待していますが、社会人になることは不安と表裏一体であるに違いありません。モラトリアムは終結し、自律と責任が問われる未知の世界へ突入するのですから、なかなか勇気のいることではあります。それでも「何事にも最初というものがある」のです。誰でも同じで、最初からベテランもプロもいないのが普通です。将来への夢、希望、理想を抱くとともに、意欲に溢れ、胸高鳴る高揚感を覚える一方で、未知への底知れぬ不安感が頭をよぎる、というアンビバレントな状況は、新人には付き物なので全く心配ご無用と申し上げます。
少し遠回りしてでも、自分を研磨し続け、光り輝かせていく中で、「ものづくり」の素晴らしさを体感してもらいたいと思います。みらいへ向けて、みなとからの出航は間近です。
それにしても台風には悩まされました。昼夜を問わず養生と復旧に全力で取り組んでもらい、本当にご苦労さまでした。同時に多くの教訓も得られたことと思います。
ご存知のとおり、当期は既に第2コーナーに突入しています。次なる季節への順応に配慮して体調管理に努め、先ずは年末まで無事故無災害のうちに確実に仕事をこなすべく、全員一致協力して頑張っていきましょう。ご安全に。