IWABEメッセージ
第5回 「木と人」
先日地鎮祭があり、工事の無事を皆で祈願しました。その際、敷地内に何本かの樹木があり、工事計画の都合上どうしても伐採しなくてはならないため、神官にはそれらの樹木1本1本にもお祓いをしていただき、我々もそれに参加して見守りました。
以前、町立保育園の園舎改築工事で、これまた計画上敷地内のほとんどの桜の木を伐採しなければならず、着工にあたり木々1本1本をお祓いしていただいたことがありました。 地域の皆様に愛されただけでなく、長い年月にわたって多く園児の成長を見守ってきた見事な桜の木を伐採することにはまさに断腸の思いがしました。1本1本に手を合わせて祈る園長先生の姿が今でも目に焼き付いています。
特に日本人は木との関係が深いものです。
『古事記』 で一番最初に登場する神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)で、造化三神と呼ばれています。この中で高御産巣日神は天照大神とともに高天原を治める中核神であり、別名「高木神(タカギノカミ)」と呼ばれ、古くから 「木」 に神聖性が認められていた証しとも言えます。
また、神道の世界では、神を数えるに 「柱」 という単位を用います。柱はしっかりと真っ直ぐに立ち、天上へ繋がっているとイメージされるのでしょうか。
いずれにしても古来日本人は、自然を畏怖し、木や石にも神が宿ると感じてきました。さらには優れた能力を持てば、たとえそれが鳥獣の類でも神として畏敬してきました。この精神性は、人間の能力の有限性を素直に認め、自ら謙虚たらんとする姿勢の現れに他なりません。地鎮祭も同じことで、それは「人事は尽くしますが、人間は非力で能力には限界がありますので、どうか無事竣工できるようお見守りください」 という謙虚な願いの表明の場でもあるのです。
その樹木を恐れ多くも伐採するのですから、上述の日本人の精神性からすると耐え難いところですが、しかし同時に人間の謙虚な思いが伝われば、必ずや神々は事情をご理解くださるに違いないと信じています。
そのためには、何よりも人間として、施工者として真摯かつ謙虚に祈り、事に当たること、併せてそれら樹木がその地で多くの事象を見つめ続けてきたという歴史の意味を理解することが不可欠でしょう。また、それら樹木を材木として何らかの形で活かすことができるのならば、木々は形を変えてこの世界に、人々の心の中に生き続けることになるでしょう。
保育園の桜の木は 「積み木」 に形を変えて園児とともに生き続けています。今回の工事敷地にある木々も何らかの形で活かし、生き続けることができるよう思案工夫したいものです。
木と人。自然の中で生き、仕事をする者として、今一度その関係に思いをいたすことも大切ではないでしょうか。
今年もあと1カ月あまりとなりました。 受注と施工に一層注力するとともに、健康留意、安全最重視で、よき年末年始が迎えられるよう頑張りましょう。ご安全に!