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第29回「柊の図書室」
愛知県立半田高等学校は、その前身校の1つである旧制第七中学校創立から百周年を迎え、記念事業として旧武道場たる七中記念館の改修(再生)工事が計画され、当社が施工を担当、先日竣工しました。大正年間に建てられた同館は、鉄筋コンクリート造で、小屋組が木と丸鋼の混合トラス構造となっており、往時の姿を留めつつ最新の教育施設に生まれ変わらせるという今回の作業は、なかなか難儀なことで、次々と現れる問題を1つ1つ丁寧に解決して竣工させることができたのも、発注者、設計・監理者、専門工事業者、それに学校の先生・生徒の皆様方の温かいご声援ご協力があったればこそと心より感謝しています。
工事安全祈願の日も、竣工式の日も、私は高校入学祝として祖父に買ってもらった腕時計をはめていきました。高校卒業後は別の腕時計を使うようになったため、どこかへしまわれていたのですが、偶然にも見つかったので時計店にて電池交換してみたところ針が動き始めました。電池という新しいエネルギーを得ることによって再び時を刻み始めたのです。
まさしく七中記念館も、かつては武道場や卓球場として利用されていたものの、のち耐震強度不足のために倉庫と化し、構内の片隅にほぼ忘れられるようにしてぽつねんと建っていました。学び舎に来たり、また巣立ち行く数え切れぬほどの若人を見守りながら、風雪に耐え続けて静かに存在していた訳です。しかし、その建物こそが、学校の歴史と伝統を今に体現するだけでなく、未来に向けてそれを発信し続ける場、「空間」に他ならないことが強く認識されたが故に、改修を施すことにより新たな息吹が吹き込まれた、即ち、改めてしっかりと時を刻む音が響き始めたのです。集う人々には末永く同館を愛し、諸先輩の思いを感じ取っていただきたいと切に願うところです。
工事中、パトロールで何度か現場を訪れましたが、昔とほとんど変わらない構内を歩いていると、色々なことが思い出されてきました。先生、友人、先輩・後輩、授業に部活、登下校……。あれやこれやと浮かんでくるうちに校舎を見上げると、ふと思い起こされたことがありました。「そう言えば、昼休みの時はいつも図書室へ行っていたな」。弁当を食べ終わった後には、どんなにわずかな時間しか残っていなくとも、1人ぶらりと図書室を訪れ、あちらこちらの書架を眺め歩き、借りる訳でもないのに何冊か手に取って、パラパラと頁をめくりながら何行か読み、また棚へ戻し、といったことを繰り返していたのです。室内には何人かの生徒や、時に司書の方も見えました。書籍は勿論新刊ではなく、これまでに何人もの生徒達が何度も手にして読み込んでいるので、ただでさえ色褪せているのに、汚れやシミ、破れが見られるものもあります。部屋中そんな年代物の書籍のにおいが充満し、その蔵書量と相俟って、何とも不思議な「圧力」のようなものを感じたほどでした。その「圧力」は、数多の悩み多き若者達が苦闘し感激してきた時間の堆積そのものから発せられているとも言え、私はその「圧力」を「魔力」のように覚え、魅入られるようにして室内に引き込まれて行っていたのでしょう。
こうしたことは、大学図書館や公立図書館のように何百万冊もの蔵書数を誇るところで得られる感覚やら空気やらとは少し違うのかもしれません。書籍を求めて立ち寄った人々の思いよりも、それを著した人々の知的営為にこそ興味関心の比重が些かなりとも移るからでしょうか。ただ、いずれにも当てはまることは、そこに「本」を中心に展開された無数の人生が垣間見えているということなのだと思います。著者、出版者、読者それぞれの人生です。
そもそもの話、いかにメディアが発達しても、我々の生活の中心には「本」があります。コンテンツさえ得られればよいではないかという発想で成り立つ電子書籍の世界とは異なり、「本」には、質感、重さ、におい、装飾といった要素に加え、読書量を実感させてくれるだけでなく、所有欲を満たしてくれる「現実体」としての性質があるのです。では、その総合芸術たる「本」を媒体として何をするのか。大上段に構えて言えば、先哲の知恵に触れ、それを自分の頭の中で熟慮反省し、自らの血肉とするということです。言葉との接触、言葉という形式を借りた思考そのものとの出会いとも言えます。何故と言って、著者の人生経験の蓄積から紡ぎだされた思考は言葉によって表現され、伝えられるからです。
だからこそ、図書館や書庫に一度足を踏み入れてみると、先ずは「圧倒」されてしまうのです。書籍の1頁1頁、1文字1文字に記された思考の軌跡、古代から現代に至るあらゆる著者の声に我が身が囲まれていることを知ると、その声に素直に畏敬の念を覚えざるを得なくなるはずです。彼らの発する言葉は、途轍もなく深く、重いのです。
高校の図書室では、そうした言葉に触れた生徒達が、高校生らしく時に思い悩み、時に触発されてきました。自らの道標を得ようとしたのか、ただ漠然と何かに刺激を受けたかったのかはわかりません。ただ、著者の言葉に圧倒されるだけでなく、圧倒されつつも若者なりに理解しようと努めたというその足跡や情景が、在校生の全身で体感された時、改めてそうした機会に恵まれたことを幸福と思い、同時に自らの精進不足を痛感することを可能にしてくれた「魔力の部屋」の本当の魅力を知ることになるのでしょう。
コスト・パフォーマンスやら効率性やら「簡単・即席・お手軽」が喜ばれる現代からすれば、そうした昼休みの体験も、もっと言えば読書すらも「無駄に等しい」と思われるかもしれません。しかし人間、サプリメントだけ摂っていれば健康になれる訳ではなく、あれやこれやと食事をし、必要な栄養素を得て不必要なものは排泄するという一連の活動があって初めて健康が得られるのと同じように、一見無駄と思われること、不要と感じられること、遠回りで面倒くさく見えることも、厭わずコツコツと地道にこなすことによって、本当の意味で大切な価値ある「何ものか」が得られるのではないでしょうか。万巻の読書で1巻の名著に出会い、書き溜めた雑文の中から1滴の美文が生まれるのです。
とかくこの世の中は、実は大半が無用で役に立たなそうな事柄(関心の対象外)と、本当に欲しい宝物とが混在しており、それらを諸共に受け容れることによってしか願いが叶わないという仕組みになっています。その意味で無用なものも実際には無用ではないのかもしれません。言い換えると、有用と無用は表裏一体。ケース・バイ・ケースで表情が自在に変化して、どちらが裏か表かわからなくなってしまいます。ここで「無用の用」という言葉を思い出します。
昔を懐かしみつつ歩いていると、やはりよくわからないことだらけだという現実を今更ながらに思い知らされた次第です。
さあ、いよいよ冬です。現場も冬体制を整え、冬ならではの健康管理、安全管理に努めてください。先ずは年末までの無事故無災害が目標です。受注も施工も一層邁進すべく、皆で知恵を出し合いながら、一致協力して仕事に取り組んでいきましょう。ご安全に!