IWABEメッセージ
第35回「道後温泉湯けむり話」
夏目漱石の小説『坊つちやん』を読んだのは確か小学生の頃だったでしょうか。「赤シャツ」だの「うらなり」だの可笑しな人物が沢山登場する、随分面白い話だなあと感じたことを覚えています。
正岡子規が詠んだ「糸瓜(へちま)咲て 痰のつまりし 佛かな」という辞世の句を教わったのは中高生のいつ頃のことだったでしょう。病床にあって壮絶な苦しみに耐えながら生死の境を彷徨っているのに、全く飾り気のない素朴かつ素直な描写でもって何もかも語り尽くしてしまおうとする表現者の絶えざる情念には鬼気迫るものがありました。
その正岡子規と秋山好古・真之兄弟を主人公に、日露戦争前後において欧米列強に対峙する大日本帝国の成り行きと命運を、力強くも精緻な筆致で描いた司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』については、社会人となってからヨーロッパ行きの飛行機の中で一気に読み切った思い出があります。尊王、佐幕、開国、攘夷という「国の行き先」を巡る思想と行動が複雑に交錯し、激しくぶつかり合った末に明治維新を迎え、文明開化・富国強兵・殖産興業の大方針のもと、上から下まで必死になって近代国家への階段を登ろうとしていた時代。その途中で大国ロシアと戦争を開始せざるを得なかった国と国民の死力を尽くした壮絶な日々を思うと、連綿と続く歴史の先端で安穏と暮らす我が身を只々省みるのみです。
四国は伊予の国、愛媛県の松山市は彼らに共通する街、舞台です。
その松山を先日初めて訪れる機会がありました。岡山から瀬戸大橋を渡り、予讃線で松山まで行くのですが、鉄道旅行ならではの楽しみもあるとは言え、長時間単線電車に揺られていると、やはり「遠いなあ」というのが率直な感想でした。それでも、郷土料理の「鯛めし」に染み込んだ出汁の旨味を味わったのち、市電を利用して街中の風景を眺めたり、翌日登った松山城天守(国指定重要文化財)の最上階から市内を一望すると、爽やかな涼風に吹かれながら気づいたことがありました。はるばる来た甲斐があったというものです。それは即ち、「松山は何と素晴らしい街か!」という至極単純な事実なのです。言い換えれば、「松山は住んでみたい街だ」ということになりましょうか。観光に出かけてみたいだけではなく、住んでみたいと思える街こそ本当の意味で魅力的な「よい街」だと言えると思います。日本神話の時代、また聖徳太子や万葉の時代から温泉地として有名であるだけでなく、松山藩城下町としての歴史と伝統を背景に、多くの著名人を輩出、また四国最大の中核都市たる陣容を有する政治・経済・文化の拠点となる街です。地理的に見れば、広大な松山平野は周囲を山々に囲まれながらも、目前には遥か瀬戸内海を臨むという位置にあります。豊かな自然と程よい都市機能を備えた街は「住むによし」と評価されて然るべきでしょう。温州ミカンと伊予柑を絶妙にブレンドした冷たい100%果汁が美味しいという以上に明々白々な事柄です。
松山はまた道後温泉でも有名です。いや、道後温泉目当てで訪れる人が殆どかもしれません。中でも「道後温泉本館」はその象徴的建物で、明治期に建てられた木造三層楼は威容を放ち、ずっしりとした重厚感に溢れるだけでなく、細部にわたる華麗な意匠にはある種のモダンさをすら感じます。内部には「神の湯」と「霊の湯」の2種類の浴場があり、さらに上層階には皇族専用の「又新殿」や大小の休憩室が設けられていて、心身ともに寛げる癒しの空間が提供されているのです。それは同時に地域の人々や観光客全員を一つにまとめる社交の空間でもあります。屋上にある「振鷺閣」のギヤマンガラスは夜には赤く輝き、今にも羽ばたこうとする白鷺の像は、傷ついた鷺の足を癒したという古伝説に始まる道後温泉の歴史を情緒豊かに語りかけているかのように見えます。何故このように見事な「国指定重要文化財公衆浴場」が道後の地に存在するのか。それは、道後温泉中興の祖とも称される一人の人物、伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)の功績によるところ大と言えるでしょう。
伊佐庭如矢は、明治22年に道後湯之町の初代町長に就任しました。当時既に湯屋は老朽化しており、早急に対策を施さなければならなかったところ、彼は巨額の予算を投じて建物改築を実施しようとしました。勿論地域住民は猛反対します。壮大な計画は無謀な蛮勇にしか映らなかったのでしょう。それに対して伊佐庭町長は、中途半端なやり方では意味がない、百年のちになっても誰も真似できないようなものを作ってこそ初めてものを言うのだ、として住民を説得、「道後温泉本館」建設に着手したのでした。彼は、明治政府の廃城令による松山城廃城の危機という窮地に立たされた際、全身全霊を以って嘆願、廃城阻止したことでも有名ですが、彼の先見の明と強い使命感、さらには諦念とは無縁の実行力により、確かに125年経った今でも、道後温泉を、ひいては松山の街を「人々を魅了し、惹きつけ続けるエリア」として活き活きと光り輝かせることができたのだと言っても過言ではないはずです。
さて、時を重ねて、松山・道後という「円」の中心に位置し、数多の人々を湯けむりで包み込んできた「道後温泉本館」も、歳月を重ねるうちに、いよいよ保存修理工事を必要とする状態となりました。一部入浴が可能になっているとは言え、工期7年ともなると、その間に観光客は激減してしまうのではないかと心配するのも尤もなことで、工程調整や各種イベント開催、新たに「道後温泉別館 飛鳥乃温泉」という飛鳥時代風外観の現代的浴場を建設・オープンさせたりと、関係当事者の皆さんは、工夫の限りを尽くし、あらゆる方策を取って、主人公の全面復帰まで凌ごうとしています。ただ、これらの努力は、やはり単に客足を引き留めようという目論見だけによるものと捉えるべきではなく、何と言っても「道後温泉本館」を次代へと繋ぎ、それをシンボルとして戴く街と街の人々の末永い繁栄を願うという熱い思いの表れと理解する方が至当ではないでしょうか。
「道後温泉本館」に限らず、あらゆる形あるものは、そのまま無為のうちにいつまでも存在し続けることはできません。いずれ、場合によっては度々、修復・復元の必要が生じることは明白です。ところが多くの人々は、そうした事態の出来を自分とは無関係として傍観者を決め込むか、或は後世の人間がしっかりと対応してくれるだろうと都合よく考え、難題先送りでよしとして済ましてしまいます。しかし、存外その事態は急に訪れるものです。その瞬間、難題の渦の中心に置かれた当事者中の当事者は、その解決義務から逃れることは不可能となります。時間と空間を共有する人間にとっては誰にでも訪れ得る事態であり、決して他人事では済まされなくなるのです。要するに、「永続」なるものは、万物の霊長と称される人間のみならず地上の物質すべてとは全く別次元にある概念なのだということです。
命あるものは死を迎え、形あるものは壊れます。自然的原因によるのか社会的原因によるのかはそれぞれで、しかも、いつどのような形でそれを迎えなければならないかはよくわかりません。従って、「その時」に備えて可能な限りの対応をすることに早過ぎるということはないでしょうが、遅過ぎるということは十分あり得えましょう。ここにおいて、それでも等閑視して放置するという態度を取るとすれば、「その時」に遭遇してしまった場合には、大変な混乱に陥り、多大な負担と回復困難な損失を強いられることになるでしょう。
今あるものを「使い切り」の対象とするのか、持続的存立を期する対象とするのか。後者とするならば、大胆な発想の転換と的確で機敏な行動が必要とされることになります。肝心なことは、その過程で目まぐるしい極端な変化に目を奪われる瞬間があったとしても、実はそこにおいて忘れてはならないこと、つまり、選択した「行動」と「形式」の中に最も重大な「本質」が確実に息づいているかを見極めなければならないということです。この「本質」、敢えて言い換えれば「中心的価値」が生き続けていれば、伝えられしものを受け渡すという営みが首尾よく完遂されていることの証左となると考えてよいでしょう。さらに、この「本質」があればこそ「形式」が意味を持って存立し得るのであり、従って「形式」を正当化するものは「本質」による裏打ちということになります。
それでは「本質」とは何かと問えば、これまた答えることは誠に難しいのです。それは、一層高い次元の精神的事象かもしれないし、人為の世界を超越したところにある「何ものか」かもしれません。さはさりながら、何はともあれ少なくともそうした「本質」があるのではないかという思いを抱くことによって初めて、文化なり、制度なり、形式なりが永く維持され保守されていくのではないでしょうか。法隆寺金堂やノートルダム大聖堂のケースに限らず、修復・復元作業全般に言えることは、「形式」再生の前提として、「本質」を真摯に見つめる姿勢の共有が不可欠だということです。ただ「形式」を再現するだけならば時間とお金が解決してくれるでしょうが、本来的にそれだけでは不十分なのです。
あらゆるものの変化や崩壊が所構わず速いスピードで発生する激動の時代に、その流れに些かなりとも抗して踏ん張ろうと活躍している人々に敬意を払います。その地道な努力の背後にある「本質」の重さと大きさを遅まきながら知覚し得た時、これまでの自らの不覚と、その置かれている危機的状況に戦慄せざるを得ません。
道後温泉本館「神の湯」の少し深めの湯船に浸かりながら、しばしの瞑目の後、ゆっくりと目を開き、湯けむりの先を凝視すると、時間軸の先方が見えてきたような気がしました。素晴らしい歴史の延長線上にあるこの御世が、千代に八千代に永続することを心より願い、そのためにも日本人の「本質」を見失うまいと心中思いを巡らせたのでした。
日中暑く、夜は肌寒いという日が続き、体調管理に苦心しているうちに、梅雨だの台風だの熱中症だのと騒がれる時季がやって来ます。これまでの経験で得られた対策を余すところなく実施するとともに、つい忘れがちになる基本的な決め事を確認するためにも「一呼吸」入れて手元・足元・頭上に注意を払ってみましょう。ほんの少しの「ゆとり」が周囲への「思いやり」に変わるはずです。先ずは、地味に、地道に、丁寧に。ご安全に。