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第36回「おあとがよろしいようで」

 寄席などで落語家が締めの文句として「おあとがよろしいようで」と言うことがあります。これは、「次の演者の準備が整いましたので、私はここら辺でご無礼します」という意味です。
 思い返してみれば、初めて本物の落語に触れたのは確か高校生の時でした。毎年学校主催で伝統芸能鑑賞会のような企画があり、その年は落語が取り上げられて、柳家小三治(今や人間国宝)が体育館で一席務めましたが、当時は落語に全く興味がなく、失礼ながら半分寝ていたので、どんなネタだったかさっぱり記憶に残っていません。今から思えば本当に勿体ないことをしたものです。
 そんな私が会社の同僚に誘われて、東京・新宿にある寄席、末廣亭を訪れて以来、落語や講談だけでなく、漫才・漫談・奇術・音曲などの色物(演目が書かれる紙製のめくり札に落語や講談の場合は黒文字で書かれたのに対し、漫才などの場合は朱文字で書かれたことによります。「いろどりを添える者」という意味もあるようです)に至るまで興味関心を持つようになった訳です。末廣亭の成り立ちとか、そこを巡る芸人模様については、末廣亭初代席主・北村銀太郎の口述を冨田均が筆記した『聞書き・寄席末広亭』『続 聞書き・寄席末広亭』(平成13年、平凡社)に詳しく書かれているので省略しますが、今でこそ落語ブームとやらで、寄席やホールではチケット売り切れと言うことも珍しくはないものの、当時は客席には6、7人しかおらず、退屈なのか途中で帰ろうとする客が出てくると、「あれ、帰っちゃうんすか?駄目だよ、これで楽屋のが人数多くなっちゃう」などと客いじりをする噺家もいたくらいです。ただ、あれは「余一会」のことだったか、大入りになる日もあったのです。常設の寄席のことを「定席」と言いますけれども、番組構成は1か月を3等分して10日間ずつ、上席・中席・下席とそれぞれ落語・講談・色物と多彩な出し物で楽しませてくれるところ、1か月の残り1日、つまりその月の31日には余一会という特別な企画が許されて催されることがあります。空席目立つ寄席が超満員の大盛況だったのも、そんな余一会でのことでした。私の記憶によれば、その日はボーイズ・バラエティ協会主催の音楽演芸一色の会で、あまりの客入りに演者が喜んではしゃぎ過ぎてしまい相当酔っ払って舞台に登場したり、協会会長挨拶として、松下電器のカラーテレビ「クイントリックス」のCMで有名な坊屋三郎さんが洗濯板を使った芸を見せてくれたりと、それはそれは賑やかで大きな笑いに包まれたひとときでした。木造2階建の情趣溢れる構えが昔ながらの寄席の雰囲気を今に伝える末廣亭。あの時もそこに色々な人達が寄せ付けられていたのです。
 立川談志曰く、「落語とは人間の業(ごう)の肯定である」。また曰く、「落語とはイリュージョンである」。業とは、理屈では割り切れない、どうしようもない心根のことを言い、イリュージョンとは、夢か現かわからない、奇しい幻想のことを言うと捉えてもよいでしょうか。どちらも、簡単には説明できない誠に曖昧な概念であり、在るとはわかっていても実は「よくわからないとしか言い様のないもの」なのです。そんな「よくわからないもの」を抱えた沢山の人々を否定することもなく包み込み、受け容れてくれる場が寄席だということでしょう。幸不幸や喜怒哀楽の態様は人それぞれで、それらに優劣・善悪・理非のレッテルを張らずに、「兎にも角にも寄って来て笑え」という何とも温かく、人間臭い呼び込みにつられて、雑多な人々、割り切れない思いに苦悩する人々、陽の当たらないところでどうにか生きている人々が寄席に吸い寄せられ、各々の人生の立ち位置から演者を見つめ、また演者はそうした空気の中で芸を輝かせるのです。ですから、少しばかり金儲けに成功したり、いくらか他人様より裕福な生活をしたり、ちょっとばかり立派な学校や会社へ行ったりしたからというだけで、ふんぞり返って他人を小馬鹿にすることに何の痛痒も感じない方々は、来場拒否こそされませんが、本来は寄席とは縁の遠い人々なのでしょう。まあそれでも、そういった方々をもひっくるめて飲み込んで、「いらっしゃい、お笑いを一席、おあとがよろしいようで」と話しかけているうちに、大勢の来客の一部へと知らぬ間に同化させてしまう魔力こそ、寄席の本領に違いありません。客席に座ってしまえば誰も彼もが順不同、地位も名誉も、大尽も貴顕も関係なくなります。大声で笑い、時に自分が笑われていることに気付いてほろ苦い思いをしたり……そこは実に懐が大きく、かつ奥が深い「場」なのです。
 ここで少し観点を変えてみましょう。
 美味しい料理を出すお店に付与される星印の数が話題のガイド本が先日発売されました。知らないお店ばかりが掲載されているので、自分の無知を恥じ入るばかりですが、どこか自分とは縁遠い世界を垣間見てしまったような気がしたことも事実です。さらに言えば、自分にはもっと大切な世界(お店)があるのではないかと思えて仕方ないのです。その答えは、空腹で食欲最高潮の時に食べたいものは何か、また極端になりますが、地球最後の日に食べたいものは何かを考えれば自ずと明らかになるでしょう。私などは、家で作った普通のカレーライスを食べたいものです。普通のジャガイモ、普通のニンジン、普通のタマネギ、それに普通の牛肉が入った辛口カレーを熱々にして、適量の炊き立てご飯が隠れてしまうほどたっぷりとかけたもの。それをスプーンでグイっとすくってパクリと食べる。ああ幸せ。他には秋刀魚の塩焼も結構なもので、大根おろしを添えて、少し醤油を垂らし、これまた炊き立てご飯と共に食す……何とも目に浮かんでいけません。
 「そりゃ君が星付きの店を知らないだけで、知ってりゃ食べたいもの、行きたい店なんて変わってくるさ。そうすりゃカレーライスだの秋刀魚だのと言っちゃいられなくなるね」と仰られるのもご尤もなのですが、仮に私が知っていたとしても、そもそもそういう所とは別に、胃袋の拠り所、心の拠り所はあるように感じられてなりません。人に言わせれば「うまいまずいの判断基準は各個人が持つもの」とか「あくまでも主観の話」とかいった類のことなのでしょうけれども、事の本質はそんな簡単なものではないように思われます。ただ触れておくべきは、食べ物のうまいまずいは、その食べ物を取り巻く環境や人々によって大きく変わるもので、誰とどんな状況で食べるのか、店員の言動はどうか、店構えはどうかだけでなく、そもそも本人は空腹で楽しく食事ができる状態なのかに相当左右されるに決まっています。喧嘩しながら食べては味は無し、お高く留まって講釈垂れられては不愉快千万、米粒1つ落としただけでギロリと睨まれては息が詰まって食を楽しめず。やはり、うまいまずいは、そうした諸々の条件と独立・隔絶しては問い得ず、ましてや多数決や一部の権威に盲従して、強制的に主観変更を迫られるような性質にもないのです。絶対的美味なんぞ存在しません。
 さて、「原子論的個人主義」は理論的には思弁できても、現実の個人は、従前申し上げた通り、歴史と宿命の激流のなか必死になって格闘し、他者との接触と離隔に懊悩し傷つきながら何とか生きていくしかないものです。その意味で、上述の寄席と食べ物の話を通じて言いたかったことは、理屈や虚飾を排した「素」の状態にこそ人間の本当の姿が映し出され、そこに真に大切なものが見えてくるのではないかということだったのです。
 科学技術が進歩し、物質的には豊かになってくると、どうも人間は有頂天になりがちです。それらに反比例して人類は退歩を続けているという危機に少したりとも気付いていないようですらあります。この勘違いは大体のところ虚飾へとつながっていきます。なるほど確かにその方向へ邁進する人々が増えているように見えます。衣類、宝飾品、自動車、邸宅、学校、会社等々、必死に努力して上等なものを求めることは良しとしても、より上へ上へと見栄と欲望が増大し、上に至った挙げ句、下を睥睨して見下すような風潮はいただけません。これも人間の業なれば致し方ないのでしょうか。しかし、「ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」というフランス語があります。これをして作家・開高健は「位高ければ、務め多し」と訳しました。この言葉は、昔の貴族にだけあてはまるものではなく、現代人の多くにも十分通用します。これを全く意に介さない者や、知ったかぶりして有言不実行な者は、嫌味になるのでむしろ語らぬ方がよいでしょう。「ナリは立派でも性根が卑しい」とか「錦は着ても心がボロ」と辛口に評されるだけです。
 改めて誤解なきように。これらの虚飾が全くの無意味とは言いませんし、むしろ我々の「文化」を構成する大きな要素であるとすら言えましょう。逆に「人間は大して差はない」などと言い切ってしまうと小さな差に潜む大きな意味を看過してしまうかもしれません。それでもなお一層強調すべきは、この虚飾というか「鎧」というか、そういった「外皮」の類を一切捨象した先に登場となる「素」の姿の方が余程大切で、今少しそちらに目を向けてもよいのではないかということなのです。業を抱えた人間同士が、何となく寄り合い、惹きつけられるのは、この「素」を相互に感付き、共有しているからです。この共感があればこそ、寄席で泣き笑いし、一口の温かくも優しい味に心満たされ得るのではないでしょうか。
 この世間のあちらこちらで懸命に生活している人々とその振る舞いを、上から目線でも下から目線でもなく、相手の心を斟酌して配慮する「内から目線」で眺めてみると、何だかほっこりとした気分になります。そんな気分を思い出したり忘れたりしながら、時は相変わらず止まることなく流れていきます。夢か現か幻か。なるほど世の中はイリュージョンと言えば言えますか。よくわからないことだらけのなかを、今日もまた刹那刹那に生きています。夕焼け小焼けで日が暮れて、それでも前へ歩は進む……。
 第67期末を迎えて、皆さんどのような感想を持たれていますか。「あれもあり これもあっての 期末かな」。先ずは皆さん本当にご苦労様でした。会社としては一定の目標を達成できるでしょうが、期末は飽くまで1つの節目。引き続き間髪入れずに第68期がスタートします。
 今や社会では「忙しさ」=「好調」ではなくなってきています。景気の面、また産業構造の面から荒波が接近してきていることを感知しなくてはなりません。ただ、いついかなる時も、仕事に臨む基本姿勢に変わりはありません。来期もその基本姿勢をしっかり維持して、正々堂々真正面から職務に邁進していきましょう。
 暑さが厳しさを増しています。何はともあれご自愛専一のほどを。おあとがよろしいようで。ご安全に。

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