IWABEメッセージ
第37回「有限に有限を知る」
今回は、これまでにも取り上げたことのあるテーマ「有限」についてもう少し考えてみたいと思います。
『作家のお菓子』(平成28年 平凡社)という本があります。26人の作家達が好んで食したお菓子が、それにまつわる思い出深いエピソードや沢山の色鮮やかな写真とともに紹介されています。各地の名店のお菓子から自家製のお菓子まで、見ているだけでおいしさが伝わってくる品々。和菓子、洋菓子、気取ったお菓子、飾りっ気のないシンプルなお菓子等々を巡る「こだわり」には、実に面白い、時に哀愁すら感じる「生きざま」が投影されているようにさえ感じます。立派な文士も存外身近な人物に見えてくるものです。これもお菓子の魔法でしょうか。
その中で童画家・武井武雄の水彩スケッチ帖『日本郷土菓子図譜』が紹介されています。日本全国の郷土菓子や包装紙などが克明にスケッチされ、味への率直な評価が記録されているのですが、そこに登場するのが「半田雁宿餅」という和菓子です。絵を見ると、細かく仕切られた箱の中に20個ほどの餅菓子が収められています。武井の評によれば、「求肥の皮に芥子をつける上餡 品のよいもの也」とされており、昭和26年の日付があります。ところが欄外の編集部注記には、「半田雁宿餅は現在は製造されていない」とされており、確かに少なくとも私の記憶では、見たことも食べたこともありません。書籍を通して広く紹介されているのに、今や存在しない「半田雁宿餅」。一体どんなお菓子なのだろうと興味津々になったとしても不思議ではないでしょう。これはひとつ半田一の老舗和菓子店「松華堂」の内田さんに聞いてみるしかない、という訳で、先日内田榮一さんに尋ねてみる機会に恵まれ、早速件の「半田雁宿餅」について質問させていただきました。
「先日ある本を読んでいましたら、『半田雁宿餅』というお菓子が紹介されていました。今は売られていないようですが、そういうお菓子が昔の半田にはあったのでしょうか。」と尋ねますと、即座に「それは以前うちで作っていたお菓子です。私も小さい時分はよく食べていました。ただ日持ちの問題とコストの問題があって製造中止にしました。」とのお答えが返ってきました。「ご先祖様に悪いことをしました。また復活することがあったら是非ご賞味ください。」と穏やかに笑みをこぼされたのが印象的でした。
事実関係がはっきりしたところで、当の「半田雁宿餅」が現存しないのは残念至極。当時食された方がいらっしゃるとしたら、さてどのようなご感想をお持ちでしょうか。先頃、名古屋・円頓寺にある洋食店「勝利亭」が明治創業来の歴史に幕を下ろしましたが、何度か食べたことのある洋食が食べられなくなっても惜しくて仕方がないのに、当然一度も食べたことのない幻の銘菓がかつて当地域に存在したけれども今となっては何人たりとも口にすることはできないという状況の方がはるかに悔しい思いがします。今食べたくても、どうしたところで食べられないのですから。こちらの都合通りにはいきません。
食べ物だけではありません。今触れたくても、もう触れられない物、今会って語りたくても、もう会って語れない人等、従前来述べているとおり「形あるものは壊れ、命あるものは死す」という「有限の大法則」の下にある事物であれば、何であれ同じことです。資源も、自然も、人生も然り。今は今、その今がこの先いつまで続くのかはわからないだけでなく、これまで何百年と続いて今があっても、この先何百年と続く保証はどこにもないのに、大半の人は半永久的に続くと思っているか、そうでなければ先のことは日常生活の視界に入らず、それどころか全く意識すらしていないのが現実でしょう。「後悔先に立たず」とか「いつまでもあると思うな親と金」などという警句はよく聞くものの、それだけに実際は真逆の事態が多い証拠だとも言えます。周知のとおり、遅きに失しても、失って初めて気付く大切さというものがありますが、そうした気付きが連続することに大いに反省はしてみるものの、一向に改まる気配がないというのが我々「フツーの人」なのです。
ここに至って、やはり「有限」を敢えて意識してみなければならないのでしょう。「有限」であるが故に、残された時間に制約があることとなり、その制約下でいかにして時を過ごし、どのように振る舞い、稀少な「機会」なるものを見失わないようにするかを真剣に考えなければならないということです。勿論、これまた「言うは易し」とのお叱りを受けるであろうことはよくわかります。というのは、繰り返しになりますが、例えば人の一生で考えてみれば、多くの人々は、その終焉を迎えて初めて「有限」の重大性を知り、漸くにして自らが「有限グループ」の一員であることを悟るぐらいのもので、まさに「時すでに遅し」の感を抱くのがほぼ「通例」のことだからです。ただし、そうした人々が避けられぬことには、その悟りの瞬間、世の無常を痛感し、何とも言えぬ寂寥感に苛まれることになるのです。同時に孤独感、無力感、さらには戦慄・恐怖感をすら覚え、どこへどう助けを求めてよいものかわからず混乱に陥ることすらあるでしょう。もっとも、そこで慌てふためいたところで徒労に終わるのみなのです。
本来であれば、道端に落ちている石ころ1つとの遭遇も偶然の出会いと言え、その「ご縁」をしっかりと感じ取って、一瞬一瞬の重みを理解すべきなのでしょうが、やはりそこまで深く考えたり、体験を意味付けられるほどの「ゆとり」を殆どの人々は持ち合わせてはいません。それでは一体どうすればよいというのか。そう問いたくなるのが人情というものです。
お悩み相談室や宗教関係者に尋ねたところで、恐らくのところ明確な答えは出てこないでしょう。ただ少なくとも言えることは、物事に対峙する姿勢として、また心の持ち方として、先ずは自分にこだわること、自己を捉え省みた上で自らの価値基軸を持つこと、同時に他者に対して無理のない範囲で配慮すること、これらを肩肘張らずにやんわりとトライし続けることが枢要だということで、そこにこそ個性が光る「余地」があると思います。この「余地」さえあれば、「有限」を知る事態に直面した時に、まあまあの水準であったとしても、どうにかそれと対峙し得るのではないかという期待を持ってもよいはずです。
少し目を転じてみると、「有限」の自覚は、人生において否定的側面でだけ捉えられる訳ではなく、肯定的側面からも受け容れようとしている人々がいることも事実です。ご存じ森繁久彌は、これからバリバリ仕事をするぞと決意した時に自分の墓を建てたと言います。もうゴールは設定した、あとはそこへ向かって全力で突っ走るだけだ、という思いを抱いていたのでしょう。これまたご存じ本居宣長は、遺言書に墓の設置の仕方、葬送の段取、追悼の作法などを事細かに記し残しました。死を間近にした人間とは言え、そこには「有限」への強い意識、終結を見据えた最後の精力的活動の決意、それともう一つは、自らの死後も現世の人々の心に生き続けたいという願望が色濃く反映されており、彼は、「有限」の始点と終点について、とことん考え抜き、しっかりと意味を持たせたのでした。
しかしながら、それだけ「有限」を認識したとしても、別れの悲しみ、惜別の情、終点以降の世界への底知れぬ不安から全面的に解放されることはありません。どれだけの偉人であっても同じことです。彼らがどれだけの方策を講じテクニックを駆使しても変わりありません。遅かれ早かれ「有限」という非情な現実に直面することは免れません。だからこそ、せめて上述の「余地」だけはなくてはならないのです。
誰もが等しく「有限」の中に生きています。誰もが等しく始点の先に終点を迎えます。人だけでなく形あるものすべてが然りです。まさしく「有限」とは本来、人間が各々発色できる所以そのものであり、その色には途轍もなく重い意味と計り知れぬ輝きが宿ります。
「メメント・モリ(memento mori『死を忘れるな』という意味のラテン語)」とはよく使われる言葉ですが、私としてはそうした洒落た言葉ではなく、「有限を恐れ、有限と闘い、有限に輝く」という文句で人生を表現してみたいと感じています。
よく触れるテーマであると同時に永遠のテーマでもあり、従って、果てなき思考が求められる難儀な事柄に悩むことは苦行以外の何ものでもありませんけれども、それでも今回もう少しだけこだわってみました。紙数も有限ですので、これぐらいにして、ということにさせていただきます。
さあ、いよいよ第68期がスタートしました。厳しさ増す状況下にあっても、自らに謙虚に、あらゆる困難には正面から堂々とぶつかっていき、輝ける成果を得るべく、愚直に仕事に取り組むのみです。派手さは不要、奇策も不要。日々の修練と地道な積み重ねが今期を実りあるものにしてくれるはずです。
先ほど紹介した『日本郷土菓子図譜』には、「盛岡麦煎餅」、つまり南部煎餅も取り上げられています。白色や茶色の薄焼煎餅には簡素な模様が押し焼きされており、散りばめられた沢山の黒胡麻が変化を加えていますが、その姿かたちは飽くまで素朴です。武井武雄はその味をして「巧まずして妙なり」と評しています。「巧まないで妙である」を言い換えると、「特に意識的に企てて趣向や技巧を凝らしたわけではないが、何とも言えないほど見事で優れている」ということになるでしょうか。「巧まずして妙なり」、まさに我々が今期に目指す「様(さま)」に他なりません。よい言葉です。
暑さ本番、踏ん張り時を迎えています。何はさておいても、先ずは健康に心を配ってください。ご安全に。