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第39回「鮎滝」

 この時期の鮎は、産卵のために川を下るので、「落ち鮎」と呼ばれています。今回取り上げるのは、むしろ鮎が成長するために川を元気に遡上していた「夏真っ盛り」の頃の話です。
 三河の国は新城を流れる豊川の上流・寒狭川(かんさがわ)。天竜・奥三河国定公園エリアにある「その場所」は、風光明媚、雲ひとつない快晴の青空、緑豊かな山々、どこまでも透明感溢れる清流、一切の夾雑物のない優しい大気に囲まれ、心身共にリフレッシュされる環境にあります。
 丁度「その場所」あたりでは、川はゆるやかに流れるも、途中段差ができた箇所があり、川の流れはそこで収束して激流へと変化し、まるで滝の如き様相を呈しています。その滝にじっと目を凝らしていると、たまに水中からピョンピョンと跳び上がり、上流を目指そうとしている魚が何匹かいることに気付きます。激流をものともせず、健気にも懸命に遡上を試みる魚こそ、まさしく鮎に他ならず、その跳躍する鮎をタイミングよく漁師が捕獲するのです。「その場所」が「鮎滝(あゆたき)」と呼ばれる所以です。
 シーズン中の鮎漁は、地元の漁業組合員の方が輪番制で担当し、2人1組のペアで捕獲に挑みます。三度笠をかぶった地元漁師さん達が、大変珍しい伝統漁法の「笠網漁」によって、鮎が跳びはねるのを待ち受けています。ただひたすらに待ち受けています。息を凝らして待つ間聞こえてくるのは、川の清らかな流音と、セミや鳥の鳴き声のみです。そこに居合わせる数名の見学者達(観光客)も無言で見守り、その時を待ちます。
 そもそも「鮎滝」は新城の山中にあり、駐車用の空地も数台分しか確保されていません。車を降りてから道路を横切り、その道路沿いの崖地に作られた大変細い歩道を下っていくのですが、周囲は薄暗く、木々がうっそうと生い茂っている中を黙々と歩いていかなければなりません。しばらくすると途中に「鮎滝」についての説明が書かれた大きな看板が立っています。年月のせいか多少汚れた案内看板の説明内容は、要約すると次のようになりましょうか。「今を去ること400年以上も昔、当地出澤地区の領主・滝川氏が、円滑に丸木流しができるようにするため、川の大岩盤を播州高砂の石工をもってして削岩させた。工期半年の後、材木流通の便は向上することになった。同時に、遡上できる鮎の数も増えたので、その鮎は滝川氏の支配するところとなり、領民にも漁獲権が与えられ、彼らの生計の足しにされたという。現在の漁業権は漁業組合に移ったが、この鮎滝での漁は、新城城主・菅沼公以外にも、蕉門俳人・太田白雪、歌人・糟谷磯丸、若山牧水などの文人にも愛でられ、今でも多くの人々を魅了し続けている」。
 太田白雪という俳人は、新城生まれで、名門商家の主人にして松尾芭蕉の門人、百人一首の研究もしていたという地方文化人です。身内とは早くに死別しており、孤独な生活を余儀なくされた富商でした。
 歌人の糟谷磯丸は、伊良湖の漁師の家に生まれました。漁師の傍ら数万首の和歌を作るも、読み書きができなかったため「無筆の歌詠み」とも称されたといいます。読み書きができない分、飾りのないストレートな表現・描写が人々の琴線に触れたのでしょう。彼は各地を巡り、知多半島にも訪れたようです。
 戦前日本の自然主義派歌人、宮崎生まれの若山牧水についてはよく知られているところでしょう。「幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなん国ぞ きょうも旅ゆく」。
 こうした文人達にも知られ、愛された「鮎滝」。そこで行なわれる「笠網漁」に話題を戻すことにしましょう。
 「笠網漁」とは、2間の竹竿の先に着けた笠網(被り笠)を両手でしっかりと持ち、滝壺に集まって瀑布を跳躍遡上しようとする鮎を待ち受けて、上流へ向かってジャンピングした瞬間にサッとすくい取る漁法で、別名「鮎汲み」とも言われています。なるほど確かに柄杓で水を汲んでいるようにも見えます。とにかく気長にじっと待ち続け、ようやくすくった鮎1匹をもう1人の漁師に渡し、渡された漁師は鮎が自分の竿の網から落ちないように注意しながら、ネット付きのたらいへ移すのです。中では10~15㎝ほどの鮎が何匹か泳いでいました。先ほどの漁師は、また川に向かって次の一匹が現れるまで一心に待ちます。
 滝壺をよく見てみると、跳躍待機組の鮎がたくさんいるではありませんか。それらをグイっと網ですくってしまえば話は簡単なのですが、そうはしません。それではいけないのです。「一網打尽」の全く対極にあるのがこの「笠網漁」なのです。
 自然が進む速度。これにスピードなり歩幅なりを合わせていれば、恐らくこの地上では、さして問題なく穏やかに生活できるのでしょう。しかし、我々人間は、技術の進歩に助けを借り、生活の効率化・省力化・利便化を推し進めていき、しかもそれを止める術(すべ)は持ち合わせていません。技術によって助けられていると思っているうちに、不覚にも(いや薄々自覚しているのかもしれませんが)技術によって支配されつつあるのです。人間性を切り売りしている、言い換えると人間が退化している、そこまでいかなくとも脇役化していることには全く気づかないでいながら、自分達人間は際限なく進化し、その持てる知識技量はエンドレスに高みに向かっているのだとお祭り騒ぎに浮かれているというのが本当のところではないでしょうか。万物の霊長たる人間は、自らに慢心しているうちに全地球の支配者から被支配者の役回りへと引きずり降ろされようとしているのです。
 確かに人間の英知が、災害・疾病・環境問題などの自然科学的諸課題を解決するとともに、数々の社会的困難を克服することによって、生活に「豊かさ」を付与してきたという事実は否定できません。だが何事にも限度はあります。現実、人間中心に地球は回っていません。人間中心に宇宙は組成されていません。この当たり前の大原則を時に思い出しつつ、人間の逆戻りできぬ難儀な性向をいかにコントロールし、全体としての調和をもたらすべきなのか。言うまでもなく、こうした問題への関心を高めていかなければならないのですが、そのためには、今となっては「古臭い」「時代遅れだ」「過去の遺物だ」「アナログ・ノスタルジーだ」と小馬鹿にして取り合わない人すらいる「先人の知恵」に謙虚に向き合い、素直に耳を傾けてみるしかないのではないでしょうか。
 「先人の知恵」の多くには、自然への畏怖、人間の分限の自覚、目には見えなくとも確かに認識し得るものへの敬意、それら一切の条件の下で生かされていることへの感謝が内包されています。またそれは、平穏のうちに1日を暮らせるというささやかな満足感や、必要以上には求めず、身の丈に合った程々の充足によって得られる幸福感によって心が充溢するためのヒントを与えてくれているようでもあります。無いこと、不足していることへの不平を無限に言い連ねるのではなく、多少とは言え有る(在る)ことに喜び、楽しむという清々しくも美しい「生のスタイル」を看取できる端緒は「そこ」にあるはずです。
 人工的な音は一切せず、ただ自然界の発する音しか聞こえてこないという「無音以上の静寂」。この静寂のうちに木々は育ち、川は流れ、魚は跳ねるという大いなる「生の存在感」を直接肌で感じながら、刹那訪れる「無心」という澄明な状態にあって、文明社会の先端あたりで息する者が不遜にも忘却してしまっていた大切な事柄に突然気付かされたようなショックを覚えました。大空の下、そびえ立つ山々、清冽な流れ止まらず、ただ無力な人間の心たゆたうのみ。
 「ロハス」などといった気取った概念とは関係なく、伝統的日本人ならば元々持ち合わせていたはずの純朴なる「心持ち」ついてあれこれ思いつくままに記してみました。
 さて、当社は、先般の定時株主総会および取締役会を経て新体制がスタートしました。同時に程なくして第68期の第2コーナーに入ります。
 受注も施工も、奇をてらわず、地道に、愚直に、基本を大切にする「自然体」で取り組まなければなりません。しかし、時の流れは止まることを知りません。鴨長明の『方丈記』冒頭には、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉が並べられていますが、まさに川の流れは絶えず、我々はそれに抗うことなく、浮き身を工夫しながら、しかも一定の期間内に一定の成果を上げなければなりません。それが企業人の務めです。なかなか難しい仕儀ではあります。絶え間なき大いなる流れの中で、迷わず、抗わず、自己を見失わず、なすべきをなして光暉を放て、ということでしょうか。かの作家の愛せし言葉「悠々として急げ」こそ至言なり。
 心身の疲れ、ストレスは、自らが緊張して頑張っている時には表面化しませんが、その緊張が緩んだ時、まさに時間差があって発現します。健康管理や体調管理は、もう少しだけ長めのスパンで考えた方がよさそうです。
 先ずは「元気」から。ご安全に。

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