IWABEメッセージ
第43回「修学旅行今昔」
子供が修学旅行で奈良と京都へ行き、後日その体験を踏まえた「児童による研究発表会」が授業参観(ふれあい学級)の場で行なわれました。ただ旅行へ出かけて「楽しかったなあ、おしまい」ではなく、児童達は自分の訪れた名所旧跡の中で最も印象に残った所を選び出し、様々な角度から一生懸命に調査します。テーマについてきちんと調べ上げて得られた知識、情報、感想を発表するのですが、小学生だからと言って侮るなかれ、なかなか立派な発表なのです。今のご時世では当たり前としても、パワーポイントを駆使し、言葉と映像を上手に組み合わせて、短時間で簡潔な発表をやってのけてしまいます。しかも、クラスの全員一人一人がです。こちらも初めて知ったこと、「うーん」と唸らされたこと、目から鱗が落ちたこと等々、とても「タメになる」内容でしたし、12歳の飾り気のない率直なプレゼンテーションを見て、教室の後ろの方で只々感心し、頷くことしきりでした。少子化のせいか、全行程バスで移動し、京都ではいくつかのグループに分かれて行動して、各グループ思い思いの場所を巡り、見分を広めたと言います。慰安旅行でも親睦旅行でも子ども会のイベントでもない、まさしく「修学」の名にふさわしい旅行だったようです。
この辺りでは、大昔はともかく、修学旅行と言えば、小学校では奈良・京都、中学校では東京方面と、行先の相場は決まっています。ただ、行先は同じでも、行程内容はかなり変化してきているらしく、先ほどのグループ行動もそうですが、訪問先はかなりバラエティに富んでいます。定番の金閣、銀閣、三十三間堂には寄らず京都大学を訪れるとか、東京ではディズニーランドは当然のこと、渋谷NHKやお台場フジテレビ、スカイツリーに六本木などへ足を運ぶのが当世風とのことです。何を学んでいるのか、どうやら興味の対象は想像以上に拡大・多様化しているのでしょう。
世の中は豊かになったらしく、学校で訪れずとも、各人が私的に日本中、いや世界中を旅行できる昨今、今さら奈良だ京都だ東京だと言っても新鮮味に欠け、一体何が珍しいのかと首を傾げる人すらいるのかもしれません。いるのかもしれませんが、皆が皆そんなに恵まれた人ばかりではないのも事実ですし、私的旅行では得られぬことを経験できるのが修学旅行です。しかし、そう考えたとしても、やはり目的地・期間・費用だけでなく、修学旅行そのものの意義や位置づけが時代とともに微妙に変化してきているのでしょうか。勿論、企画立案・引率・成果確認という一連の「教育活動」に携わる先生方のご苦労に変化はなく、むしろその責任は重くなることがあっても軽くなることはないぐらいです。事実、修学旅行を単なる定例行事としてこなすだけに終わらず、そこで得られたどんなことも教育において活かしてみようという強い意気込みと確固とした姿勢が伝わってきます。昔の先生方も同じだったのでしょうけれども、当時の小学生には到底思いが及ばなかっただけのことです。
事のついでに触れておくと、今となっては断片的な記憶しかない我が修学旅行の思い出は、辛うじて残る文集と写真に頼るのみで、しかもその文集にある我が文章ときたら、三十三間堂をテーマにはしているものの、我ながら情けなくなるほどのひどい代物なのです。文章の作法以前に言葉遣いがひどいし、誤字脱字も多い。そもそも小学生らしい素直さ、純心さ、それに真剣味に欠ける。日本史に関心を持ち始めた頃の割にはそれが伺えない。自分の子供達に読ませたら呆れ返っていました。いやはや汗顔の至りでした。
東京を訪れた中学の時も似たり寄ったりで、皇居の二重橋や国会議事堂にどれだけ興味を持っていたのかよくわかりません。先日参院議員に当選された方が、「昔、修学旅行で国会議事堂を見学した際に、『いずれ自分もここで活躍しよう!』と決意した」と述懐されていたのに比較して、こちらはクラスの誰かが茶けて薄汚れた「赤じゅうたん」をむしってきて「おみやげ、おみやげ!」とバスの中で自慢気に騒いでいた光景しか思い浮かばぬという悲しさ。また、バスで本郷の東大前を通過した時にガイドさんが「皆様の右手に見えますのが、かの最高学府・東京大学の赤門でございます。皆様とは全くご縁のない学校でございます」と冗談交じりに説明してくれたのに対して、生徒一同が「失礼じゃないか!」と憤慨したということがありましたが、現実にその中から誰一人東大へは進学できなかったのですから、ガイドさんも何事かを見透かしていたのでしょう。擦れていないというか、のどかというか、呑気というか、そういう時代を生きていたということにしておきます。
とは言え、その後各自が各自の人生を歩み、学の研鑽を重ね、職の技能を高め、人のつながりを拡張していく中で、一定の「視座」を得るに至るのです。そこに至って、思うことがあります。小学生は奈良・京都、中学生は東京、高校生はさらに遠方という修学旅行の行先を逆転してはどうか、と。確かに小学生で何泊も遠出は難しいかもしれません。しかし、歴史の授業が始まる学年だとしてもまだまだ知識不足、行ってはならないとまでは言いませんが、できればもっと大きくなってからこそ奈良や京都へ出かけるべきではないでしょうか。名所旧跡を通して伝えられる日本国の成り立ちや国柄、日本人の心持ちや価値観を感取する「手がかり」を見過ごさないようにするためには、やはり齢を重ねることが必要で、同時に人文・社会・自然科学に関する一定の知識を身に付け、それらを上手く組み合わせて自分なりの「感知器(センサー)」を形作っておかなければならないと考えます。それには時間がかかるし、不断のバージョンアップ(修練)も不可欠です。亀の甲より年の劫。
「小学生で奈良・京都へ行って、また大人になってから訪れてもよいではないか」と仰る。ごもっともですし、私もそうしています。加えて、「授業参観で見事な発表を見たではないか。『感知器』はきちんと働いているではないか」とも仰る。これまたごもっともです。ただ言うべきは、山ほどある「手がかり」のうちの多くに気付くことなく旅行を終えてしまうことが何とも勿体なく思えてならないということなのです。場所によってはもう少し年長になってからの「修学旅行」が最適なのではないでしょうか。「お父さん、それは違いますよ」と否定されるとすれば、そんな発想は杞憂でしょうか。
実を言えば、ここで本当に見落としてはならないことは、修学旅行の実施年代のことではありません。「好奇心」です。
どれだけ小さな子供でも子供なりの「好奇心」があり、老人には老人なりの「好奇心」があります。当然のこと、それぞれに強弱や対象範囲の違いがある訳で、言い換えれば、それぞれの性能の「感知器」を持っているのです。とても素晴らしいことなのですが、宝の持ち腐れでもいけません。「感知器」はあっても、スイッチをオンにしていなければ機能せず、対象範囲にあるあらゆる事柄を常にターゲットにしながら、自ら求めるものがヒットするまでアンテナを高く立てて、休みなくセンサーを稼働させることが、「好奇心」が働くための必要条件となるのです。
素朴に考えて、「好奇心」なきところに充実した人生はあり得るのでしょうか。「好奇心」は、既知を深堀りして意味を考え、未知を無限に追究しようとする心であり、従って、既知と未知の領域に存在する、良いこと悪いこと、好むこと好まざること、必要なこと不必要なことなどすべてを眼前にした時、自分のキャパシティの内で種々吸収し、頭と心の空白を埋めていく作業を継続する端緒となります。その継続自体と吸収された一切のものが意義を持ち、光輝を放つことになるのです。それぞ楽しみと喜びを感じる瞬間ではないでしょうか。
つらつら思うに、修学旅行は「好奇心」を満たすためだけにあるのではないとしても、それが旅の目的の第一にあることに間違いはないのであり、その時の「好奇心」を目一杯働かせたとしても感知し得なかった沢山の「手がかり」の中には、将来自我を確立するのに資する重大な事柄・要素が見え隠れしているのだということを、うっすらとでもわかってくれたとすれば、もうあれこれ書き連ねる必要もないのでしょう。何故ならば、時の流れと世の変化は激しくとも、その中でどうあっても他に通約され得ない何ものかへの興味関心を失わず、感知しようとし続けることこそが最も気高い営みの一つなのですから。
修学旅行で奈良に足を踏み入れ、堂宇を巡っているさなかに「大陸の風」を感じました。あの時、もしかしたら多少はセンサーが働いていたのかもしれません。
年初から論旨不明瞭ですみません。
令和2年。新年を迎え、1年間の平和と安寧を祈りつつ、作業安全と社業発展を強く願うところです。
今期第68期もあと半年です。この半年が今期を決し、来期以降の道筋を付けます。1年経つのが早いのならば、半年が過ぎるのはなお早いものです。まさしく光陰矢の如し。としても、たかが半年、されど半年。やるべきことをやり、踏まえるべきことを踏まえて、安定の経営、安心の生活の礎を築き、今を生きる世代の責任として、会社とその仕事への信用・信頼を一層高めるべく、1歩ずつ進んでいきましょう。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。ご安全に。