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第73回「ヤタガラス」

 熊野に行ってきました。熊野エリアは紀伊半島の南端部にあり、一部は三重県南部に、また一部は和歌山県南部に位置します。自動車利用で、伊勢湾岸道、東名阪道、紀勢道、熊野尾鷲道を通ることになるのですが、先ず景色が素晴らしい。特に熊野エリアに入ってからの景色は、とても新鮮に感じられ、心を動かされました。好天に恵まれたこともあり、熊野灘はるか太平洋は見事に紺碧なる広がりを見せ、水平線はどこまでも続くかの如く柔らかに弧を描いていました。自動車道に接近するかのようにそびえ立つ山々は、濃淡様々な緑色だけでなく、黄色や橙色などが複雑に混じり合うも、生命力溢れる新緑の力強さこそ、いよいよ際立っているようでした。間近に臨む海と山。春夏秋冬の季節毎に、優しい顔や厳しい顔など色々な様相を呈します。しかし、いずれの時季においても、そうした大自然の中に置かれた小さな人間達は、そこに何らかの聖なるもの、神的なるものを感じ取り、それを「霊気」と表現して、地域と、その地域を訪れることの双方を「清澄」「敬虔」「祓浄」「祈請」などの言葉によって表現してきたのでしょう。
 三重県の熊野市エリアでは、岩石風化・浸食の産物で、延長約1kmに及ぶ「鬼ケ城」、これまた海風と波涛による巨岩彫刻で、高さ約25mの「獅子岩」、20km以上にわたって御浜小石が敷き詰められた「七里御浜」に立ち寄りました。どれも人為的に造り出されたものではなく、ただただ自然の力と時間の経過により偶然に(あるいは必然的に)形成された岩石・岩肌の芸術、海浜の美景です。巧まずして成り現れた自然の姿を目にすると、砂粒ほどの人間が生きる刹那をどう捉えるべきかと考え込んでしまいます。砂粒の刹那こそ全宇宙だと言い切れるでしょうか。また逆に自己という存在を極力相対化し矮小化してしまうとしても、それとて全くに正しいと断言できるでしょうか。この問いに答えが見つからないからこそ悩ましく、同時に面白くもあると言えましょう。初日の最後に訪れた花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)は、『日本書紀』「神代上」の一書によれば、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が葬られた土地とされ、「お綱かけ神事」でも有名です。そのご神体は「盤座(いわくら)」という高さ約45mの巨岩で、その光景を目前にしても、砂粒たる自分は再び同じような感慨を抱いたのでした。
 2日目には熊野三山を巡りました。熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社の総称です。いずれも歴史は古く、古代にまで遡るとされます。「三山」という表現は仏教との関係を想起させますが、事実この三山は修験道(しゅげんどう。山岳での厳しい修業を経て悟りを得ようとする信仰)の修業地であって、いわゆる神仏習合思想(神道と仏教の融合思想)のひとつ本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)を色濃く反映しています。本地垂迹説とは、神道上の神々は仏教上の仏(本地)が化身して現れた(垂迹した)ものだという考え方で、かく現れた神を「権現(ごんげん)」と称します。つまり仏の仮の姿ということです。例えば、熊野本宮大社の主祭神である家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)の本地は阿弥陀如来、熊野速玉大社の主祭神である熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)の本地は薬師如来、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の本地は千手観音菩薩となります。熊野那智大社の主祭神は熊野夫須美大神です。異なった考え方を対立・矛盾なく同時に取り入れるために、独特な新しい解釈を施して上手に消化吸収しようとすることは、特に日本人が得意とするところで、そこには日常の諸事を争わず整合的に受容しようとする知恵や習慣があったように思われます。勿論、神仏習合や本地垂迹説に対しては、国学者の登場を待つまでもなく、かねてより強い反対思想もありましたし、明治期の神仏分離令においては神仏習合そのものが厳格に否定されましたけれども、今に至ってもなお「神的なもの」と「仏的なもの」とが境界を曖昧にしながら混淆するさまを、信仰の場においても、日常生活においても目にする機会はあるものです。それほどまでに多くの日本人の心底奥深く浸透する考え方なのでしょう。
 確かに熊野三山に足を踏み入れてみると、ある種特別な雰囲気を体感します。熊野本宮大社については、明治の大洪水による被災まで建っていた中洲・大斎原(おおゆのはら)も、また杉木立がうっそうと生い茂る現在の境内参道も、そこを歩めば「静」「清」「聖」の3文字が思い浮かぶこと必定でしょう。他の二社についても、熊野速玉大社の整然と建ち並ぶ社殿の鮮やかな朱色からは「神威」が伝わり、熊野那智大社の参道階段の長さからは神々の存在の「高み」を覚え、同別宮の飛瀧神社(ひろうじんじゃ)拝所から水しぶきを浴びながら眺める那智御瀧の流水からは小人の穢れを瞬時に吹き飛ばす「神力」を実感します。有名な「那智の滝」ですが、高さ133m、銚子口幅13m、滝壺深さ10m、流下水量毎秒1tともなれば、理屈抜きで自然への畏敬の念を抱かざるを得ないでしょう。現代文明にどっぷり浸かった我々ですらそうなのですから、昔の人は、滝に、山に、川に、神社に「驚異」すら感じていたはずです。そうした昔の人々は、熊野古道を歩いて、つまりは、ひたすらに杖を突き突き、一心に歩きに歩いて、全体力を消耗してまでも参詣に訪れていたのです。強力な信仰心を原動力にしていたのでしょう。熊野三山は、信仰熱き人々の必死の願いや思いが集合する場であり続けているのです。今我々が自動車などで軽々と観光に行けるとしても、本来熊野三山は祈りの場、「霊場」であることを決して忘れてはなりません。
 ところで、昨今では地図を持っていなくとも、カーナビゲーション利用で目的地に到達できます。全くもって便利になったものです。移動は自動車、進路はナビ任せ。熊野三山が身近になったということは誠にうれしい限りですが、遠くにあって訪れにくいものほど、意味や神聖性は増し、我々の仰ぎ見る角度は上がっていくということも事実です。まあ、ナビの導きには素直に感謝すべきだとして、かくナビに導かれて熊野三山を巡っていると、いずれにおいても「八咫烏(やたがらす)」をデザインした絵や像が見られます。独特の「カラス文字」で描かれた「牛王宝印(ごおうほういん)」というご神符も三山それぞれにあります。当社事業協力会のシンボルマークにも使用されていることはよくご存知でしょう。さらに八咫烏が日本神話上の伝説の鳥であることももはや言うまでもないところでしょう。
 日本神話を語る際には、先ず『古事記』と『日本書紀』という、いわゆる「記紀」に触れなければなりません。「記紀」の間では、時にストーリー展開が異なることもあるのですが、今回は『古事記』に依って話を進めます。(本居宣長の『古事記伝』十八之巻に詳解がありますけれども、紙幅の都合上ここでは紹介を省略します。)
 高天原(たかまのはら。天上界)におられる天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫こそが葦原中国(あしはらのなかつくに。地上世界)を統治すべきだとして、九州は日向国(ひむかのくに)の高千穂に「天孫」が降臨されたのち、いよいよ神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと。のちの神武天皇)は、国土統治のため東方へ向けて出発(神武東征)、現在の福岡、広島、大阪を経て熊野に上陸、そこから北上を開始します。ところが難敵が登場し、その邪気によって天津神の御子(あまつかみのみこ。つまりは神武天皇)を始め全員が気を失ってしまいます。そんな中、熊野の高倉下(たかくらじ)という者が夢を見ます。天照大神のご意向を汲んだ建御雷神(たけみかづちのかみ)が布都御魂(ふつのみたま。奈良・石上神宮のご神体でもある神剣)をお前に授けるので、それを御子に献上せよ、というお告げの夢です。それが現実となり、剣を手に入れた御子たち一行は霊威により意識回復し、敵を打倒していきます。しかし、さらに奥へと進軍すれば一層の強敵が待ち受けている状況を鑑み、高天原の高木大神(たかぎのおおかみ。高御産巣日神[たかみむすひのかみ]のこと)は、「天上から八咫烏を派遣しよう。その先導に従って後から付いていきなさい」と仰られました。出現した八咫烏に導かれて御子は行軍し、最終的には現在の橿原神宮の地にて即位され、初代天皇・神武天皇となられたのでした。まさしく八咫烏の登場は吉祥であり、大事業の成功を助ける光輝に満ちた出来事だったのです。
 この八咫烏の「八咫」とは、単純に考えれば八つの「咫」(あた。長さの単位で約24cm)ですから、約2mほどになりましょうか。そんな大きさのカラスが実在するのか、いやカラスと呼ばれた人間のことではないか等々疑問は尽きませんけれども、ここで言う「八」とは、とても「大きい」とか「多い」とかいった意味を示すので、「とても大きな(偉大な)カラス」と解釈すべきなのでしょう。神鳥・八咫烏が3本足だという記述は「記紀」には見られませんが、後世に様々な解釈が付加されたとしても、それは神秘さと魅力をさらに増さしめる特徴として感じるのみです。
 はてさて八咫烏は「神代のナビ」だったのでしょうか。そう言うには違和感が残ります。便利さや効率性の追求という無限大の欲望と、ある種の横着の帰結である「科学技術の産物」などとは全く違うでしょう。とことんまで奮闘努力しても及ばないところを援助してくれる「神威」「天慶」であり、人間の努力に比例して出現するものに違いありません。故に、大前提として、基本的には自分で考え、自分で切り拓き、自分で歩んでいかなければならないということになります。そうして諸事懸命に苦闘し、拙い試みと小さな努力を飽かず積み重ねていくところに初めて「神助」「天祐」が現れたり、意味を持つようになるのだと考えます。要するに「神助」「天祐」のみに頼っていては事は成し遂げられない、言い換えると「人事を尽くして天命を待つ」となりましょうか。「神仏を尊び、神仏のみに依拠せず」という姿勢が大切なのだと思います。
 ここぞという時に登場してくれる八咫烏は、とてもありがたい存在で、その導きには心より感謝するのみですが、それだけに人間としての行ないの質と量が不断に問われているのではないかと感じられてなりません。
 さあ、第71期は始まりました。
 それぞれの職場には八咫烏の旗がなびいているはずです。多くの人々の協力を得、その力をひとつにまとめるとともに、各人が各人のなすべきことを胸に刻んで徹底的に実践していけば、複雑で困難な仕事も何とか完遂できるはずです。無事完遂できた時に、何か目に見えぬ力の作用を感じることができたとすれば、それは仕事に対する真摯さと謙虚さの、さらにその背景に存在する敬虔さの現れに他なりません。そこで八咫烏の旗をもう一度仰ぎ見てください。何か覚知できることがあると信じます。
 とにもかくにも何より健康第一。厳しい暑さの中にあっても、心身のバランス調整に努めてください。今期もよろしくお願いします。ご安全に。

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