IWABEメッセージ
第75回「真摯に臨む」
今年のNHK大河ドラマの舞台となったこともあり、神奈川県鎌倉市は今まで以上に注目を浴び、訪れる人も増えていると聞きます。
人口約17万人の鎌倉は、三浦半島の付け根西側に位置し、三方を山に囲まれています。鎌倉幕府の本拠地であったが故に、やはり「武士のまち」らしく、華やかさよりも、落ち着いた「質実剛健さ」を感じる古都です。戦乱と権力闘争の絶えなかった時代に、この古都においては、数え切れぬほどの栄枯盛衰、生死流転の悲劇が繰り返されていたのでしょう。随所にある名所古刹、閑静で整然とした街並み、いやそればかりか四方周囲の山川草木すべてから発せられる「歴史の声」なるものを感知しない訳にはいきません。「永遠の相」の下で人間の営みを冷静に見つめ、何事かを伝達しようとしている、「より高きところ」からの「ささやき」とも言い換えられましょうか。
これまでにも何度か触れたことがあるように、私の社会人(会社人)生活スタート地は横浜でした。横浜市内にある独身寮で起居し、そこを起点として支店や現場へと出勤していたのです。同期社員の大半もまたその独身寮に入っていました。世代を同じくする若者達が、それぞれの職場で、バブル景気の絶頂と崩壊という大きな渦の中に巻き込まれ、翻弄され、悪戦苦闘していた日々が本当に懐かしく思い出されます。目前に次々と出現する難題に嘆息しつつも、ただがむしゃらに、若さに任せて解決処理しようと必死でした。そんなことができたのも、心優しい同期の諸君がいて、常に支えとなっていてくれたからでしょう。皆個性的で、かつ各々優れた能力を発揮していましたので、頭でっかちで全く融通の利かぬ私なんぞにしてみれば、彼らの存在は天祐に等しいものだったのです。もう何十年も前のことになりますが、今でも感謝の気持ちを忘れることはありません。
そんな同期の中にI君がいました。I君は偶然にも同じ愛知の出身で、独身寮の部屋も同じフロアにありました。I君はまた大変な歴史好きで、私も歴史にはうるさい方でしたが、それでも知らないようなことをよく教えてくれました。そんなことまでよく知っているなあ、と感心したり、刺激を受けたりすることが幾度もあったのです。
あれはいつのことだったか、丁度大河ドラマで『太平記』が放映されている頃のことでした。夜の10時ぐらいに部屋で寛いでいるとノック音がしました。誰かな、何事かなと思いながらドアを開けると、そこにI君が立っていました。「どうした?」と聞くと「鎌倉へ行こう」と。「いやいや、もう夜の10時だよ、どこも閉まっているだろう。それにどうやって行くんだ?」と返します。鎌倉は存外横浜から近く、JR横須賀線で30分もかかりません。しかし、その時間のダイヤがどうなっているのか、また帰りはどうするのか……。あれこれ思案していると「オレの車で行こう」との提案。うーむ。確かに世間的にはドラマ『太平記』で盛り上がっているし、何と言っても鎌倉は歴史都市で、歴史好きにとっては相当に魅力溢れる街であることに間違いはありません。好奇心は膨らむばかりです。そこで結論「じゃあ行くか」。……ただ、ここまでの経緯については多少記憶が曖昧になっているのです。あれ?もしかしたら、I君が私の部屋へ来て鎌倉行きを提案したのではなく、私がI君の部屋へ行って提案したのかもしれないな……。となってくると話は大分変わってきてしまうのですが、とにもかくにも歴史好き(物好き)の2人は夜中に車で鎌倉に向かうことになったのでした。
横浜の頃には、鎌倉へは勿論何度も出かけたことがあります。観光目的だけではありません。横浜に加え、鎌倉や三浦半島方面でも、いくつもの現場で事務担当の仕事をしていました。学校、オフィス、共同住宅等々、あれやこれやと現場があり、毎日あちらこちらへと飛び回っていました。電車やバスを利用して移動していましたけれども、そこかしこにある名所旧跡を横目で見ながら、「まあ、いつでも行けるから」と思っているうちに結局行かず仕舞いという場合もままありました。鎌倉五山第一位の建長寺は臨済宗建長寺派の大本山で、北鎌倉の森の中に位置する名刹ですが、その建長寺に隣接する学校の体育館の工事に携わった時などは、工事関係者ということでフリーパスにて境内を闊歩できたので、何とも特別な気分を味わえ、とてもうれしくなってきたものです。多くの文学者や作家が好んで居を構えていた北鎌倉には、国宝の舎利殿で有名な円覚寺、あじさい寺の明月院、駆け込み寺の東慶寺などもあり、少し離れて鎌倉大仏の高徳院、巨大な十一面観音木像が安置される長谷寺、護良親王を祀る鎌倉宮(大塔宮)、街の中心部には鶴岡八幡宮、そこから真っ直ぐに延びる若宮大路、その先には由比ガ浜……それ以外にも神社仏閣、史跡の類い数知れず、まさに鎌倉は、何度訪れても新しい発見のある街なのです。
閑話休題。I君と鎌倉に向かい、到着したのは文字通り「深更」でした。当たり前のことながら、どこの寺院も閉門しています。しかし、逆に人がほとんど歩いていないような状況であればこそ、街本来の姿が、じわりと圧をもって浮かび上がってくるように見えました。その「深更」、Ⅰ君と私は、ある場所へ行ってみることにしました。その場所とは「東勝寺跡」、別名「北条一族腹切りやぐら」(「やぐら」とは横穴式供養窟のこと)です。東勝寺は、鎌倉幕府の実力者・北条氏の菩提寺(臨済宗)でしたが、新田義貞の軍勢が鎌倉に攻め寄せたため、北条高時を始めとする一族郎党は寺内に立て籠もり、最期は900人近くの全員が自刃、寺にも火が放たれました。ここに鎌倉幕府は滅亡、いわゆる鎌倉時代は終焉を迎えたのでした。鎌倉幕府の征夷大将軍については、源氏将軍は頼朝・頼家・実朝の三代までで、それから先は、藤原摂関家から迎えた「摂関将軍」が二代、皇族から迎えた「宮将軍」が四代と続き、合計九代だったのですが、実権は北条氏の「執権」が握っていました。また、その北条氏の家督相続人を「得宗(とくそう)」と言い、北条高時は最後の得宗だったのです。高時の頃は、実際の幕府の運営は長崎円喜などの「寄合衆」という最高幹部達によって取り仕切られていました。このような鎌倉幕府の中心にあって権勢を誇っていた人物達が、遂に東勝寺という場にて滅び去ったのです。これは、南北朝時代・室町時代への序章でした。
大河ドラマでは、片岡鶴太郎演じる北条高時が先ず最初に自害し、それを追って男女を問わず次々と自刃していきます。最後には、まるで業火の如く燃え盛る炎に取り囲まれ、死屍累々の地獄と化した東勝寺の中心に座して数珠を繰る、フランキー堺演じる長崎円喜が、無念の涙を浮かべつつ自刃して果てたのでした。盛者必衰、生者必滅、会者定離の「無常」が、キャスト達の見事な演技により描写された壮絶な名場面です。三枝成彰の曲も素晴らしい。篳篥(ひちりき)の音色が無常観を際立たせます。この場面の印象があまりに強烈だったため、I君と私は東勝寺跡を訪れてみたいと思ったのでしょう。決して深夜の「肝試し」などという不謹慎でふざけた気持ちではありませんでした。ただただ悠久の歴史という大河の流れに浮かんで刹那だけ生きる人々がはかなくも散り去っていった、その舞台に向き合う意味を多少なりとも感じていたのだろうと思い返しているところです。
辺りは真っ暗です。フェンスで仕切られた横にある坂道を上っていきます。しばらく歩くと、左手に「腹切りやぐら」への小道がぼんやりと見えます。そこをまた上っていきます。行く手は全く明かりがなく、何も見えません。恐らくこの先を少し行ったところに「腹切りやぐら」はあるのでしょう。しかし、何も見えないのです。何も見えない中、I君も私も奇妙で不思議な感覚に襲われました。何と表現すればよいのか、まるで正面の暗闇へ心身が吸い込まれていくような感覚です。これは何なのでしょうか。霊気でしょうか。そこでI君と私が出した結論は同じでした。今日はここまでとし、このまま帰った方がよい、日を改めて日中再訪すべきであろう……。こう考え、横浜への帰途に就いたのです。
後日、昼間にI君ともう一度訪れました。吸い込まれるような感覚を覚えた正面には洞穴があり、そこには供養塔(五輪塔)と沢山の卒塔婆が置かれていました。我々両名とも「さもありなん」と納得するのみでした。たとえ目的や理由はどうであっても、深夜に出かける所ではなかったのです。深い反省とともに、往時の悲劇を偲んで合掌したのでした。
鎌倉に限らず、国内外の至る所に、ひとりの、またあまたの人間の生が悲しい結末を迎えた地はあります。その結末に至った原因には、老い、病気、戦争、事件、事故等々様々なものがあり、そのいずれの場面においても、悲嘆と慟哭が伴ない、時に運命や宿命が強く呪われることすらあったに違いありません。決して遡ることのできない時の流れのうちには、無量の涙が溢れているはずです。死を迎えた人、死を迎えた人に寄り添う人、また人を死へと追いやった人、それぞれの立ち位置や心境が複雑に交錯し合い、影響し合い、思い出となり、遠い過去の記憶へと変じていく……その記憶の地に臨むということは、人々の生の終点に思いを致し、死の重みを知るとともに生の重みに気付く機会を得るということに他なりません。それだけに、臨むには真摯な心持ちと一定の礼儀が必要とされるのです。人間の生死という重大な事柄を前にして、軽佻浮薄な態度や、他人事として捉えて傍観するが如き浅慮は厳に慎まなければなりません。明々白々たることです。
生死は万人にあり、誰も無関係ではいられません。かつ、各人の生死は各人により異なり、しかもそれぞれに意味を持つが故に、等しく配慮されなければなりません。
I君との鎌倉行きは、こうした大切なことを気付かせてくれました。「歴史の声」の「ささやき」を聞いたから……今ではそう思っています。
さて、当社第71期の第2コーナーへ入る前に、改めて確認しておきたいことがあります。それは、仕事であれ何であれ、そこには目的・手段・時間という3要素があるということです。
仕事を進める上において、先ず目的とか目標を見定めるところから始まりますが、その目指すべき目的や目標に間違いはないかをよくよく考えなければなりません。また、その目的や目標に間違いがないとして、それを達成するための手段や方法は適切かを問うことが肝要です。さらに、その手段や方法が適切だとして、達成のためのスピードや必要時間は妥当なものなのかを見極めなければならず、事程左様に、上記3要素のうちのどれを端折っても、なかなかひとつの仕事を完遂することは難しいと言えます。一見面倒ではありますが、目前の課題に真摯に臨み、あとあと余計に手間暇・費用のかかる損害を発生させないようにしましょう。
季節の移ろいの中にあっても、明るく元気に前を向いて、一日一日仕事を仕上げていきましょう。
何をおいても健康第一。ご安全に。