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第85回「どういう家康」

 何年か前のこと、ご縁があって日光東照宮の境内をご神職にご案内いただいたことがあり、そこに群生する葵(フタバアオイ)を拝見することができました。小さな可愛らしい花を付けた葵です。この葵の葉をモチーフとしてデザインされたのが、あの「三つ葉葵」です。
 「三つ葉葵」は徳川家の家紋である、などと今になっては常識のように言えますが、以前にも記したように、小学校低学年時分の私からすれば、「水戸黄門の家来が印籠を出すと何故に全員が乱闘を止め、静まり控えてしまうのか」という素朴な疑問が生じたとて、それはごく自然なことだったでしょうし、丸い輪の中に3枚の葉が描かれたデザインが、金蒔絵により煌びやかに輝いているさまを見るにつけ、得も言われぬ不思議な威力をそこに感じるという体験は、たとえ「権威」という言葉を未だ理解せぬ子供にとってすら、十分得ることが可能なものだったのです。ドラマなどで有名な「水戸黄門」とは徳川御三家のひとつ水戸徳川家の第2代藩主・徳川光圀のことで、その祖父の徳川家康こそが徳川家の始祖にして江戸幕府初代征夷大将軍、戦乱の世を鎮め、天下泰平の世をもたらした人物なり……小学生の抱くささやかな好奇心は、自身を少しずつ日本史の世界へと誘っていくことになりました。
 そんな頃、と言って確か小学校の2、3年生の頃のことでしたか、読書感想文の課題があり、私は子供向け偉人伝記全集の1冊『徳川家康』を読んで感想文を書き、それを提出しました。どういう訳か、作文の受けがよかったらしく、何とかいうコンクールに出すから推敲して書き直せとの話。書き直すと言ったところで、こちらが書ける程度は知れており、今更何をどう直せばよいのか困り果てていると、先生が追い打ちをかけてきます。「文中で家康が江戸へ移る時のことを書いているね。当時の江戸の様子について『かつて源頼朝が関東に根を張ったとは言え、まだまだ荒地だった』というようなことが書かれていたと思うが、『根を張る』ってどういう意味なのかな?」。恐らく(いや、当然に)先生自身はその意味を知っていたでしょうし、とすれば何とも意地悪な質問だなあと思いました。何故と言って、所詮私は伝記の文章の受け売りで書いたに過ぎず、意味も解らず格好だけで原稿用紙のマス目を埋めていただけだったからです。まあ、先生はそんなことお見通しで、難しい表現ではなく小学生らしい言葉遣いにした方がよいと指導したかったのでしょう。今だったら、「『根を張る』とは、そこを本拠地と定めて、勢力をしっかりと定着させることです」とでも答えたでしょうが、さすがに当時はそんな機転の利く「ませた」子供ではありませんでした。
 ほぼ同じ時期に、テレビでは『少年徳川家康』というアニメ番組が放映されていました。山岡荘八原作の小説をベースにして、家康の誕生から岡崎入城までを取り上げ、幼少期の辛い日々と母・於大の方の深い愛情を描写した作品でした。番組冒頭には、先ず内海賢二のナレーションが入ります。「火と血に汚れた戦国の世を鎮め、以後300年にわたる太平の世をもたらした偉大な武将・徳川家康。これは、若き日の家康・竹千代と常に彼を支えたその母・於大の方との波乱にとんだ涙と感動の物語である」。ここでホルンが鳴り響き、勇ましい序奏で始まる主題歌の作詞は伊谷亮一郎、作曲は渡辺兵夫。「東に鬨(とき)の声上がり 西に轡(くつわ)の音高し 今戦国と人の言う こらえて生きて十余年 ああ世も末の乱世に 羽ばたけ竹千代 時来る」。で、「三つ葉葵」がドドーンとアップに。ただでさえ歴史好き、テレビ好きの子供です。実にツボにはまった番組で毎週放映を楽しみにしていました。(ちなみに後番組はアニメ『一休さん』で、奇矯に描かれた足利義満が妙に記憶に残ります。)
 このアニメ番組の原作が山岡荘八の小説だったことは上述したところですが、やはり家康を扱った小説として不動の1位を占めるのは、この山岡荘八の大長編小説『徳川家康』を措いて他にありません。作品内容にだけでなく、読了できた時にも格別の感動を味わえる名作です。また伝記としては、山路愛山の『徳川家康』を挙げるべきでしょう。出版されたのが大正時代で、文体も文語調ながら、単なる「家康伝」には収まらず、むしろ精緻で実証的な「家康論」であると評してもよいはずです。前者の作品は講談社山岡荘八歴史文庫で、後者のそれは岩波文庫で入手可能です。家康関連の書籍は、学術研究書から漫画本まで数多くありますが、先ずはこれら2作品を必読書とすべきだと思います。
 映画やテレビ番組に目を向けると、老若を問わず実に多彩な俳優達が家康を演じていることに気付かされます。家康をどういう角度から観察して、どういう人物として捉えるのかという観点と、俳優自身の演技上の個性とが相俟って、作品ごとに独特な家康像が表現されることになり、どれひとつとして同一の家康像なるものは存在しません。「タヌキおやじ」なる老獪な策謀家、人生の辛苦と人間の「業(ごう)」を深く知る「もののふ」、「厭離穢土欣求浄土」を信条に天下泰平の世を実現する為政者……その生き様が滲み出てくるような名演技に我々はまた心を揺さぶられます。TBS『関ケ原』の森繁久彌、NHK『葵・徳川三代』の津川雅彦、同『真田太平記』の中村梅之助などがその例ですが、我々はその俳優の演技に実在した家康の姿を重ね合わせて「歴史の舞台」に観覧するのです。
 家康の姿容を知るということならば、古くから伝わる絵画や木像・石像・銅像についても触れなければなりません。特に絵画(肖像画)について言えば、これもまた史上の偉人たるが故か、様々な画家が各々の技法を駆使して制作した数々の優品が残されています。大敗の悔しさを肝に銘じ、慢心を戒めるために描かせたとされる「徳川家康 (伝)三方ヶ原戦役画像」(徳川美術館蔵)、3代将軍・家光が夢の中で見た家康の姿を狩野探幽に描かせた「東照権現像(霊夢像)」(徳川記念財団他蔵)、頭巾をかぶり普段着姿の「家康 慶長8年(62歳)像」(久能山東照宮博物館蔵)などなど枚挙にいとまがありませんが、私にとっての家康肖像画と言えば、何と言っても徳川美術館にある「東照大権現像」一幅なのです。これも狩野探幽の筆とされています。衣冠束帯姿で繧繝縁(うんげんべり)の畳の上に坐す老年の家康像です。神格化されていますので、浜縁には2頭の狛犬が配されており、五彩の雲と金色の霞たなびく中にあって、笏(しゃく)を持ち、端然として泰平の世を見据える家康。私がイメージする家康像とは、まさしくこの肖像画のそれなのです。
 それこそ小学生の頃、この肖像画を見たくて何度も徳川美術館に足を運びましたが、展示情報を得るのは今ほど容易ならず、お目当ての肖像画に出会うことはなかなか叶わなかったのでした。後年、やっとのことで鑑賞の機会を得られた時には、それこそ童心に帰った心境になり、不思議な感激を覚えたものでした。
 昔話はさておき、家康の肖像画であれ何であれ、現代のように映像と音声による記録保存技術が進んでいる世の中なら格別、そうでない時代では、実物(または本人)を見た人が、その記憶力と表現力の限度内で印象を伝え残そうとし、場合によっては実物を見たという僥倖を誇る意味で、かなりの誇大なデフォルメを施して伝播させようとしたのでしょう。伝えられた人々は、さらに自らの記憶力と表現力、それに空想力を働かせて、各人各様の「自己流」で伝え続けようとします。これが時間をかけて繰り返されるうちに、様々なバリエーションが分岐して生じ、結果として、大元の実物からは大分隔たったかたちでイメージが幅を利かせて展開されていくことになるのです。(運が良ければ、ぐるりと回って実物に近付くこともあり得ますが、それに巡り会ったところで、それが実物に近いと判断できる者は何処にも居ますまい。)つまり、各人が各人のイメージで作品を通じて実物の似姿を伝えようとするも、そのイメージからして誰かの創作したイメージに影響されたり依存したりしているのであって、そうしたイメージの再生産のうちにイメージ自体は変容を重ね、その果てにあるイメージの「集積」が「真実の姿」として今に伝わっているということなのです。人々は、その「集積」しか実物に迫る「よすが」がない以上、「集積」に自分の思いを投射してそれなりに満足する訳です。存外のこと、この仕方の方が、自分の好奇心を一層膨らませ、頭の中に構築される世界観を拡げ、さらに色鮮やかにするものなのかもしれません。(そうしてみると、家康の生存中か没後しばらくのうちに制作・描写された作品は、偉人伝等の類いも同様、記憶の薄れや伝承の「ふくらまし」が比較的軽く済んでおり、勿論「神格化」はあるにしても、イメージの変容は最小限に抑えられていると見てよいでしょうか。)
 しかし、さらに考えてみれば、その実我々は今までに(今でも)実物を直視する機会に恵まれていたとしても、そもそものところ、それを素直に見る(考える)ことができなくなっているという問題があります。虚心坦懐、前提条件なしに、つまりは簡明直截かつ冷静に実物を見極めることは至難の業です。というのは、我々は時間の経過とともに、独自の価値観・信念・経験則なるもを身に付けてしまい、「固定観念の武装」が強化されていってしまうからです。実物に接することができても、その実物をそっくり受容できないとはどういうことでしょうか。強制された訳でもないのに、無意識的または自発的に偏見を持つとはどういうことでしょうか。確かに、人間は自己の考え方の基準や行動の座標軸を整え、そこに対象を当てはめてしまうものであり、この点はどうにも避け得ないことではあります。故に、善悪正邪、理非曲直を見透して正確に判断することを一層難しくしてしまうのです。実に迫り、真を突くことの難しさ。小智の堆積により陥る偏見の渦。ところが、この渦を脱し、少しでも実物に接近するためには、全く逆説的ではありますが、さらにいくつもの渦の中に飛び込み、エンドレスに小智を積み重ねていくしかないようなのです。そうすることによってしか、自身の中途半端な価値観・信念・経験則の類いを研磨することができず、考えられるところ、それが唯一の道であるようにしか思われないからです。
 家康はその遺訓(諸説あり)でこう言い遺しています。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」。困窮と苦戦、それに堪忍。その連続だった家康の説く道とは、どこまでもどこまでも続く、果てしない道なのでしょう。渦に翻弄されつつも、その道より他なしと思い定めて歩き続けるうちに、彼方に実物の姿かたちがおぼろげながらにも見え隠れするのを感知できたとすれば、「まあそれでよし」とすべきなのかもしれません。
 第72期がスタートしました。いかなる産業界においても、好不況の波は繰り返され、その波の途次にも不意に大小の困難が発生するものです。物事がうまく進んでいる時には今まで以上の慎重さと警戒心を持って臨み、また苦境にある時にはそれが常の事と思って目前の仕事をコツコツ丁寧に仕上げる。また「好事魔多し」とも言います。油断と慢心は「まさか」の損害・損失を惹き起こしかねません。心すべし、心すべし。
 重荷を背負って遠い道を行くような状況にあっても、社員相互が声を掛け合い、注意をし合い、励まし合って、全員の総合力で見事今期を踏破しましょう。
 酷暑の候、何より先ずはご自愛専一にて。ご安全に。

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