IWABEメッセージ
第88回「アッシジと熊本」
イタリア中部のウンブリア州にある小都市・アッシジ。紀元前以来の歴史を刻むこの街は、田園地帯に囲まれた高台エリアに位置し、そこでは温かな陽光を浴びながら白色と淡いピンク色をした石壁を美しく魅せつけてくれる石造建物群が中世の趣を今に伝えています。街の中へ一歩足を踏み入れ、石畳の坂道を黙々と上っていくと、不思議なことに自分がまるで中世の田舎町にタイムスリップし、市井の人々の日常生活や何気ない会話などを実際に目で見、耳で聞き、匂いをかぎ、温度や湿度を肌で感じているような気持ちになってきます。すると、何とはなく自然のうちに自分の心は往時の巡礼者のそれになったような感覚に襲われたのです。もう何十年も昔に訪れた時の体験です。私がそのような感覚を覚えたのは、恐らくアッシジがカトリック信者の巡礼地であったからでしょう。こうしたことは何もアッシジに限ったことではなく、またヨーロッパに限ったことでもなく、世界中のあらゆる場所に存在する巡礼地、聖地、霊場などにおいても起こり得ることであり、しかも、体感者自身がいかなる宗教の信者であるかを問わないのです。特定の対象から何ものかを無意識的に感知する場面というのは、もしかしたら誰にでも訪れ得るのかもしれません。
アッシジは、ローマ・カトリック教会の修道士であった聖フランチェスコが生まれた地であり、また没した地でもあります。彼は元々裕福な家庭に育ったのですが、数々の困難に遭遇し、いくつもの転機に直面したのち、自らの地位、名誉、財産のすべてを投げ打って信仰の道を歩むようになりました。その姿勢は「清貧」の一語に尽きます。選んで貧しさの中に身を置いて信仰を極めるには、必然厳しく己を律せねばならず、それ故に他の信者や当時の一般社会との軋轢も生じたはずです。こうした苦難、苦行の中で、彼は「小さき兄弟会(フランチェスコ会)」を創設し、それは今もカトリック修道会として存続しています。
聖フランチェスコで有名な話は「小鳥への説教」でしょう。彼は、人間だけでなくあらゆる生き物を「神の被造物」と考え、差別はしませんでした。ある日のこと、彼は小鳥に向かって説教を始め、神の教えを優しく語りかけました。すると、木の上に止まっていた様々な種類の鳥たちも彼の前に下りてきて、神妙に説教を聞き始めたといいます。聖人の信仰と生きざまを端的に伝える逸話です。この話は、絵画や文学作品などのテーマとしてよく取り上げられています。イタリアの守護聖人たる聖フランチェスコ。彼を描いた小説で最も印象に残っている作品は、ニコス・カザンツァキ著『アシジの貧者』(清水茂訳 みすず書房 新装版 平成9年)です。聖人の経てきた艱難辛苦の道、強固な信仰心、万物への愛情が、精緻に、丁寧に、根気強く描写された小説であり、かつまた伝記とも言える名作に仕上がっています。翻訳者の力量も相当なもので、自ら読み進んでいったというよりも、ぐいぐいと聖フランチェスコの世界へと誘導され、牽引されていったという思いの方が強く、感激のうちに読了した覚えがあります。絵画の世界で言えば、聖フランチェスコの事蹟は多くの著名画家達によって描かれているものの、やはりジオットの作品を筆頭に挙げなければなりません。
ジオット・ディ・ボンドーネは、ルネサンス期に先立つイタリア中世後期の芸術家です。彼の作品で最も有名なものは、イタリア北部の都市・パドヴァに建つ「スクロヴェーニ礼拝堂」のフレスコ装飾画です。商家スクロヴェーニ一族の施設であったこの礼拝堂は、こぢんまりとした建物ではありますが、円天井と4面すべての壁にイエス・キリストや聖母マリアの生涯、最後の審判などが色鮮やかに、活き活きと、当時最新の絵画技法をもって描かれており、まさにジオットの一大展示室に他なりません。フレスコ画のうち「東方三博士の礼拝」には、夜空を流れゆく彗星がはっきりと描き込まれており、この彗星はジオットが当時実際に見たハレー彗星ではないかと説明されています。20世紀になって打ち上げられたハレー彗星観測衛星の名前が「ジオット」とされたというのも大変興味深いところです。
このジオットは、「小鳥の説教」を始め、聖フランチェスコの生涯をテーマにした多数のフレスコ画を描きました。それらは、アッシジの聖フランチェスコ大聖堂にあります。聖フランチェスコの没後、彼を讃えるために建立されたこの大聖堂は、丘の斜面を利用して建つため、それぞれに建築様式の異なる上下2段の構造が採用されています。聖フランチェスコに帰依した聖キアラを讃え、彼女の没後に建立された聖キアラ修道院とともに、世界遺産「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設」を構成する主要建築物となっています。私が訪れたのは世界遺産登録前のことでしたが、いつであれ、このアッシジという街は、上述の如く歩くだけで、どこからともなく讃美歌が聞こえてくるような雰囲気につつまれた魅力溢れる地であることに変わりありません。
そのアッシジを地震が襲いました。平成9年(1997年)9月26日、ウンブリア州、マルク州で巨大地震が発生し、聖フランチェスコ大聖堂の天井フレスコ画が崩落、堂内にいた修道士や観光客も複数名死亡しました。丁度崩落する瞬間が撮影されており、その映像は全世界に配信されました。私もその映像を見ましたが、瞬時に天井は崩落し、ものすごい土煙が堂内に広がるというショッキングなものでした。しかも、崩落した天井フレスコ画は無残にもバラバラに砕け散ってしまったのです。「ああ、あの名画もこれでおしまいか」と嘆じたものでしたが、現地の人々は嘆いてばかりいた訳ではなかったのです。
モザイクタイルのように砕けてしまった天井壁の一片一片をナンバリングして分類し、被害前の写真と照合しながら、まるでジグソーパズルを組み立てるようにして修復作業に取り掛かったのでした。破片と破片のつなぎ目で、どうしても埋められない部分は、無理に補充して描き足すのではなく、まるで陶磁器の「金継ぎ」のように自然のかたちで修復を施したといいます。何とも気の遠くなるような作業であり、いつ終わるとも知れぬ難事業だったに違いありません。しかしながら、わずか2年ほどで修復作業は完了したというのですから驚きです。何が人々をしてこの修復作業を完遂せしめたのでしょうか。それは恐らくのところ、敬虔なる信仰心、文化への誇りと愛情、それを伝授し伝承する使命感であったろうと思います。それも相当に強力な、です。
先日のこと熊本を再訪しました。最初に訪れた時は、熊本=宮本武蔵終焉の地ということで、武蔵ゆかりの地を駆け足で巡る日帰り旅でした。今回は、前回行けなかった熊本城内や阿蘇山などを1泊2日のうちに見て回るというもので、街の夜景、大自然の威容、それに郷土料理も堪能できたという次第。それで、最も印象に残った場所はどこだったかというと、それは復旧工事の途上にある熊本城を措いて他にないでしょう。
平成28年(2016年)4月14日の夜に発生した熊本地震はマグニチュード6.5、益城町で震度7を記録し、同月16日にはマグニチュード7.3、最大震度7の地震が連続して発生しました。熊本城の被害は甚大で、宇土櫓、長塀を始めとする国指定重要文化財の建造物や各所石垣だけでなく、昭和35年(1960年)にSRC造で再建された大・小天守までもが相当損傷してしまいました。その状況はテレビのニュース映像からもわかりました。夜間照明された熊本城大天守の屋根瓦辺りから土煙が上がっているのです。「これは天守閣で、いや熊本で大変なことが起きているに違いない」とかなり心配したものです。一夜明けてみると、やはり広範囲で深刻な被害が確認されたのでした。その熊本城大・小天守の復旧工事が先般完了したのです。白の漆喰壁に黒の下見板張が特徴的な別名「銀杏城」の大天守展望フロアから望む熊本市街は絶景です。しかし、眼下に見える宇土櫓の修復は未着手で、あちこちの破損箇所を見るにつけ、自然の猛威と人為のはかなさを改めて痛感するしかありませんでした。城内至る所に震災の傷跡は未だに残されたままです。そう、熊本城復旧工事は緒に就いたばかりであって、完全復旧までの道のりは長いのです。
とは言え、少しずつ、着実に復旧作業は進んでいるようです。崩れた石垣ひとつひとつをデータ処理し、また積み上げていって、何としてでも天下の名城を元の姿容に戻す……関係者の決意と、熊本城をこよなく愛する数多の人々の願いをひしひしと体感しました。彼らを突き動かす「原動力」は何なのでしょうか。畢竟それは、郷土や文化への誇りと愛情、伝統を保持・承継する使命感のようなものなのでしょう。そうです、アッシジの話と同じなのです。だとするならば、熊本城の復元作業は必ず成し遂げられるものであると思います。
アッシジの場合も、熊本の場合も、そこに「歴史からの救難信号(SOS)」が発せられているのを感じます。同時に、その「救難信号(SOS)」は、今を生きる我々への「挑戦」にも似た「問いかけ」でもあるとも言えます。つまり、現代社会を生きる我々人間達は、歴史的文化財に対して、いや歴史そのものに対して、どのように向き合い、また行動するのかを今すぐ明確に示せ、と歴史の側から強く要求されているということです。この歴史からの問いかけ、先人達からの訴えかけをどのように捉えて対処するのか。それに回答することは、我々にとって大きな難題であり、試練ですらあります。しかし、回答しないという選択肢はなく、実際的な成果を現実に示さなければならないのが、また我々の宿命でもあるのでしょう。歴史に無関心を装ったり、歴史から目を背けたりすることなく、歴史に真正面から向き合い、歴史に問いかけ、時に問いかけられ、そのうちに自らの成り立ちと存在理由、自らなすべきことを覚知する。その上で、自らの実践を通じて、歴史の大河に浮き身をし、歴史を受け継いで伝え渡せる喜びと満足感を得られるのだと考えます。このことは、洋の東西やら古今やらを問わず通用する事柄であるに違いありません。
聖フランチェスコ大聖堂の復旧に携わった人々、今も熊本城の復旧に携わっている人々、そのひとりひとりが心のうちにしっかりと抱く情熱と悲願は、大聖堂や城郭を訪れる者全員の心奥に必ず伝わり届くはずです。作業に携わる人々がひたむきに、つまり一所懸命、無心になって困難に立ち向かおうとする営為……たとえそれが悠久の歴史上にほんの一瞬煌めく儚い光点であったにせよ、私はその営為の内に、真摯に崇高なるものへと眼差しを向ける彼らの「無限大の祈り」を見た思いがします。いや、確かに見たのです。
さて、今期第72期の第2四半期に入り、各人それぞれの仕事には大小いくつもの困難が立ち現れ、それを乗り越えるべく全員が奮闘努力している真っ最中だと思います。
もはや釈迦に説法ながら、万物何事にも始まりがあって終わりがあるように、工事には着工があって完成・引渡があります。ゴールまでの道のりは果てしなく長くて遠いように見えても、時の流れは止まらぬ故、必ず終点に到着する日はやってきます。仕事に向き合う真摯な姿勢とプロフェッショナルとしての誇り、事を全うする使命感、決して諦めない執念、それに建造物そのものへの深い愛情を胸に、歩一歩と前へ進んでいきましょう。
仕事が見事に仕上がる喜びを得るためにも、ご安全に。