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第90回「街角のともしび」

 12月ともなればクリスマス商戦真っ盛り。個々人の信仰とは関係なく、街中は「メリークリスマス」というお祝いムード一色に染まり、様々な人々が様々な目的でクリスマスを迎える準備に大わらわとなります。クリスマスプレゼントを買うのか、ケーキ菓子を予約するのか、師走ということも相俟って、何かと人々はせわしなく動き回っているようです。それに、あちらこちらから、繰り返し繰り返しクリスマスソングが聞こえてきます。『ジングルベル』、『きよしこの夜』、『赤鼻のトナカイ』、『もろびとこぞりて』、『サンタが街にやって来る』、『もみの木』、『クリスマスおめでとう』、『ホワイトクリスマス』等々、曲名は知らずとも誰もが聞いたことのある馴染み深いメロディーばかりです。賑やかにも半分機械的にリピートされるこれらの曲に誘われていく街はまた、一面にイルミネーションが輝いています。何色にも変化する小さな光球が集合して大きな光源を形成し、それが四方に光線を放っているので、我々は夜を昼と見紛うような華やかで幻想的な世界に足を踏み入れている感覚に襲われるのです。
 その華やかさの影に……、と私などはいつも考えてしまいます。無数の街灯が彼方まで等間隔で並び、屋内灯の明かりを煌々と輝かせる個性的な建物が隙間なく建ち並ぶ大通りとは全く様相を異にする薄暗い裏通りの路地に、世間からは全く忘れ去られたかの如くひとり寂しく「マッチ売りの少女」がいる……。この子どもは(大人でもよいのですが)、一切の幸福から見放されるも、底知れぬ悲しみと辛さをぐっとこらえながら、必死になって生きる糧を求めている……。そうした人(または人々)が街角のどこかにいるのではないか、ただ自分が気付いていないだけではないか……。世の中には、明があれば暗があり、光があれば影(あるいは陰)があり、幸があれば不幸があるということについては今更言うまでもないことです。辺りで幸福という光が充溢すればするほど、その陰でどうにか息する人々の姿が逆にくっきりと浮かび上がってくるのかもしれません。それ故に、期待感や高揚感などよりも、妙な切なさや不思議な寂しさを感じてしまう訳で、まさにクリスマスシーズンは、そんな心境に駆られる時季なのだと言えます。さらにクリスマスシーズンから続いて年末・大晦日くらいまで、そんな心境は続くことになります。
 そこで、もう少しだけ上述の心境について考えてみることにします。この不思議な寂しさはどうして感じられるのでしょうか。
 先ず、クリスマスだけでなく、年末年始の到来を盛大に祝福し、過大に装飾して華やかさを演出することで「幸福感の極限化」が強力に推し進められる一方、反面として現実的に世に潜む不幸や苦悩が顕在化し、それに多少なりとも気付かされたり、心が揺り動かされる瞬間があるからでしょう。この場合、人間による「イマジネーション」が相当影響しているはずです。
 次に、クリスマスともなれば大晦日も近いのですが、その日を迎える前に、ひとりひとりの「個」は、「集団」という「公」の枠組から一時的であれ離脱し、別れを告げてそれぞれの「私」の世界へと戻っていってしまうことになるからではないでしょうか。暫時の別れにも寂しさは伴なうものです。
 また、時の流れは止まらないのに、有限の生のうちにある者ながら、自らの持ち得る時間をまたぞろ浪費してしまい、それ故、意識せぬ間に己の終焉が接近していることに驚き、遅ればせながら生のはかなさや虚しさを知り、不安感や無常観を抱くということはあるものです。これも、寂寥感が生じる理由のひとつでしょう。
 去り、消えゆくものへの断ち切りがたい思い。不可避的に、また必然的に存在してしまう人生の明暗、幸不幸という現実に直面した時に覚える諦念、無力感、やり切れなさ、時に厭世観。こうした諸々の感覚が微妙かつ複雑に絡み合って、寂しさを心の中に生じさせてしまうのだと思料します。
 そんな風にして「寂しさの分析」なんぞしながら、クリスマスソングの流れる賑々しい街の通りを歩いていると、ふとある疑問が頭をよぎりました。軽快で楽し気に、しかも至る所からしつこく流され、聞こえてくる音楽、夜空すら燦然と照らす街灯や色とりどりのイルミネーション、窓外に漏れる温かい明かり、それらの音と光に包まれ、沢山の買い物袋を手にして足早に家路を急ぐ人々……その人々の顔は、どこかしら微笑んでおり、これから始まるであろう大きな(またはささやかな)イベントに思いを馳せているように見えます。しかし私は、妙なことながら、その笑顔の奥に隠された苦悩に満ちた表情を、光輝の奥に見え隠れする暗闇を、賑やかな音響とは隔絶した無音の世界を感知してしまうのでした。先ほどは「マッチ売りの少女」の話をしましたが、その対極にあるような一見して幸せそうな人々、功成り名を遂げて何事も順調そうな人々、財産的に何ら不自由を感じることなく万事満ち足りていそうな人々、こうした人々の中に、強い光と音によってかき消されて普段は見えなくなってしまっている底知れぬ悲哀、数奇かつ絶望的な運命、憂いの尽きぬ災厄、すなわち「隠れた不幸」のようなものを垣間見た気がしたのです。
 当然のこと、幸不幸の基準は人の数だけあります。同じ事態でも人によって幸であったり不幸であったりしますし、幸であれ不幸であれ、その大小・程度に関する捉え方も千差万別です。要するに、各人の幸不幸を同じ物差しで計測したり比較したりすることはできないということです。ただ、そうであっても、人々の間には一定の共通した感覚や重複した考え方がある訳で、それに依るならば、幸せそう、満ち足りていそうに見える人でも、本当は外部に伝わらない、または伝えたくない哀しみによって悲嘆に暮れているかもしれないと想像することぐらいは可能なはずです。黒灰色の哀しみに染まった苦衷。そんな内実は、外見や表面からは全く分からぬ時もあれば、本人の知らぬ間に滲み出ている時もあるかもしれません。人間は、まさしくそれぞれが、それぞれにとっての重荷を背負っているのだろうという思いが、暮れの夜道を歩く中、喧騒から遮断された頭に浮かんでは消え、消えては浮かんだのでした。
 もう少し考えを進めてみると、反対の意味の漢字2字から成る熟語、例えば、明暗、光陰、善悪、美醜、貴賤、貧富、功罪、吉凶、公私等々ですが、これまでの話からすると、明の奥に暗があるとか、美の奥に醜が隠れているとか、上品な貴風の奥に賤しさが見え隠れするとか、豊かな富の奥に人知れぬ貧しさがあるとかいったように、正反対の「ふたつの事態」の関係を表現してきました。しかしながら、どうやらそれら「ふたつの事態」は、外見と内実という関係ではなく、むしろ表裏一体の関係ではないかと思えてきてなりません。まさにコインの裏表のような関係です。また、この表と裏は時に逆転し、表が裏となり、裏が実は表となったりします。大変紛らわしいのですが、とにかくここでは、何をもって表とし、裏とするかはよくわからないながらも、「ふたつの事態」が表裏一体の関係にあるという見方を記しておくことにします。
 漢字2字ではありませんが、「幸不幸」も同じことが言えるでしょう。敢えて2字で表現するならば「禍福」です。禍とは、災厄、まがごと、不幸を意味し、その反対が福となります。これまた時代により、地域により、人により禍と福の意味内容は異なりますし、禍ばかりの人生だと嘆くうちに福と出会い、福が続く喜びに浸っていると禍に遭遇するということもあるでしょう。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」。より合わせた縄のように禍と福は交互に現れるものであると説く故事成語です。禍は禍だけで、また福は福だけで存在し得ず、禍福表裏一体、常に一本の縄のうちに混在するのです。よって、禍が表面に出ている人も、すぐその裏に福が控えており、福が際立って目立つ人も、裏側の禍が見え隠れする訳で、一時の一面だけを見ていては、その人の本当の姿、状況、境遇を知ることは大変困難であると言わざるを得ません。あらゆる人は生涯、必ず禍と福ふたつの事態に翻弄され、悲喜憂苦のめまぐるしい変転に踊らされます。絶対的永久的な不幸者などあり得ないように、絶対的永久的な幸福者もあり得ないということです。当然のことなのに平生は気付かないこの事実に改めて思いを致すべきなのでしょう。
 街角の灯火(ともしび)が揺らめく様子は、禍福の不可思議を巡る自らの想念そのものが定見に至らず揺れ動いているさまを反映しているようですらありました。ただ同時に、その灯火からは何かしら優しい温かみが伝わってきたことにも触れておかなければなりません。その温かみとは一体何なのかを考えてみると、それは恐らくのところ、クリスマス、仕事納め、大晦日自体が、それを経たのちに訪れる元旦、新年、その日の出を予期させるというところから来るものなのではないかと推察されます。別離と消滅のあとに来る邂逅と生成……新しいことが始まる胎動の予感、新たなる出発への期待が明るさをもって想起されつつあるが故の温かみであり、熱感です。コインで言えば「もう一面」の側、糾える縄で言えば「もう一本」の側が、どうやら顔を出しそうな様子なのでしょう。そうです、禍福が糾える縄の如きものならば、そうした温かみを感じる時もあるし、またそうあって然るべきなのです。そういう時がやって来るに違いないと信じることこそが、この世を生きる誰もが熱感をもって抱き得る「希望」と同義であると思われてなりません。
 来し方を思えば落涙止まらず、行く末を望めば一条の光を希求する……。
 さて、令和の御世も5年が過ぎ、6年目を迎えようとしています。先ずは皆さん、今年1年間本当にご苦労さまでした。今年も様々な難題が続出し、その解決を図りながら「ものづくりの仕事」を完遂しようと一歩一歩懸命に歩んだ日々でした。
 建設業界を取り巻く諸々の困難は、勿論、程度の差こそあれ他の産業界にも見られるものであるため、全国民は「日本全体困難状態」に突入してしまっていると言っても過言ではないでしょう。しかし、当然ながらこの「日本全体困難状態」に突入した者は皆、例外なくほとんど等しい条件の下に置かれているのであり、従って我々だけが特別に不利な状況にある訳ではないのです。
 我々としては、あくまでも凡事徹底、基本に忠実に、奇をてらうことなく真っ直ぐに、正々堂々と仕事に向き合い、確実な歩みを続けるのみです。そうしてこそ初めて「希望」をつなぎ続けることができると信じます。第72期の後半戦も、その姿勢を維持して臨んでいきましょう。
 年末にあたり、会社の役職員の皆さん、ご家族の皆様には心底より感謝と御礼を申し上げます。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。よいお年を。ご安全に。

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