IWABEメッセージ
第94回「過去から過去を見る」
家康から慶喜まで15代続いた「徳川将軍家」は、慶喜が大政奉還後に将軍を辞任して隠居したことにより、一応の終焉を迎えました。同時に、「徳川宗家(徳川一族の本家)」そのものは、慶喜が御三卿のひとつ田安徳川家から家達を養子に迎えることにより、明治以降も存続することとなります。(徳川宗家と徳川慶喜家の分離です。)徳川宗家第16代当主となった家達とその長子で第17代当主となった家正は共に華族制度における公爵に列せられたので、徳川宗家は「徳川公爵家」と呼ばれました。家正は長子に先立たれたため、会津松平家より恒孝を養子に迎えました。恒孝は家正の死後に第18代当主となり、のち高齢を理由に当主を長子の家広に譲りました。第19代当主です。正式には「德川家廣」と表記するのでしょうが、本稿では「徳川家広」とします。(ここまでは敬称略にて。)
昨年のこと、ある団体主催の講演会にて徳川家広さんのお話を聴く機会がありました。次から次へと語られる内容は、とても時間内で語り尽くせるものではなく、まさしく「博覧強記」という四字熟語が意味するように、圧倒的な知識量と記憶力よって構成・展開されるので、聴衆は本当に驚かされるばかりでした。明哲で澱みない論理的思考力、息つく間もないほど言葉を繰り出し続けるバイタリティに押しまくられたと言ってもあながち間違いではないでしょう。興味の尽きないお話に没入するうち、あっと言う間に講演時間は終了を迎えました。私は聴講の満足感に浸りつつ家路に就いたのでしたが、満足感を得た理由のひとつは、当たり前のことながら存外忘れてしまっている見方、歴史を語る際に不可欠の視座について改めて気づかされたという点にあったのです。
今年に入ってから、お取引のある金融機関の方にお招きをいただき、岡崎市内で開催された徳川家康公に関する講演会とシンポジウムに参加して聴講してきました。会場には多くの参加者が詰めかけており、主催者によれば申し込み段階で既に満席とのことでした。大河ドラマは昨年末に終了し、ブームは過ぎ去りつつあるものの、そもそもブームのあるなしに関係なく郷土の偉人を顕彰し、郷土の歴史を学ぼうとする意欲、情熱は、いささかも衰える気配を見せていないようです。学び続け、伝え続けていこうとする地道な活動が、老若男女を問わず、市民のうちにしっかりと根付いていることが、会場の様子からもはっきりとわかりました。郷土の歴史に関心を持つということ、その根底には、言うまでもなく「郷土愛」があり、その郷土愛が人々の好奇心を一層駆り立て、増し強めているに違いありません。
当日は、複数の研究者による講演があり、それぞれの専門分野から徳川幕府の時代が語られました。切り口によって現れる模様が異なるように、同じ時代の同じ事象を取り扱うとしても、どの角度から論究するかによって、目前に広がる世界の様相や色合いが違って見えてくるというのも学術研究の面白いところであり、それこそ人間社会の多様性・複雑性に由来するものであるとも言えるのでしょう。
講演に続いてシンポジウムが開かれました。地元の郷土史研究家がコーディネーターを務め、パネラーとしては講演会の講師の方々など研究者だけでなく、徳川家広さんも加わって議論が始められました。大変中身の濃い、充実した議論だったのですが、テーマがかなり多岐に亘ったため、若干消化不良の感が残ったのも事実です。あと1時間ほどあれば、さらに討論は深まったに違いないのですけれども、欲を言い出せばキリがありません。ただ少なくとも言えるに、このイベントは、もっと聴いていたい、もっと広く深く知りたい、という強い思いを抱けるほどの、また心地よい満足感を得て会場を後にできるだけの素晴らしい集いであったのです。
休憩時間に家広さんにご挨拶させていただきました。その時に、昨年に聴いた講演会で上述の「気づき」を得たことについてお伝えしました。その講演会の中で家広さんは次のようなことを話していたのです。私なりの解釈が入った概略ですので、一言一句正確に再現した訳ではない点ご了承ください。即ち、「家康公は74歳、享年75歳で亡くなりましたが、大坂夏の陣で豊臣家が滅んで徳川幕藩体制が定まったのは、その1年前のことでした。だからと言って、亡くなる直前にうまく天下平定できたなとか、人生上の行程表ぴったりに統一完了したなとか考えてはなりません。当時の平均寿命は50歳くらいです。天下分け目の関ケ原の合戦は亡くなる16年前、家康公59歳の時のことでした。自分の年齢のことを考えたら、関ケ原後10何年もかけて天下統一しようなどという余裕はなかったはずです。それでも、それだけの年月をかけざるを得なかったという事実に目を向けるべきなのです。家康公自身、自分が75歳まで生きると分かっていて行動を起こしたのでもありませんし、当然我々も、家康公が75歳まで生きたという結果から逆算して諸々の出来事について考えてはなりません」。わたしは、この家広さんの講演から大切な視座について再認識させられたのです。家広さんにご挨拶した時にも「いつまで生きられるかわからないからこそ、いつ何をしなければならないかについて常に真剣に悩み続けなければならず、その意味で、天下統一を目指す家康公という人物は大変困難に満ちた人生を歩んでいたのだと言えるのではないでしょうか」と申し上げました。人間の死はある意味偶然によるものであり、他方有機体としての限界や各人の「生き方」という観点からすれば、それは必然的であるという見方も成り立つのかもしれません。いずれにしても、人間が行く先や結末が分からない状況に置かれていることに変わりなく、日々難しい選択や歩みを強いられるのですが、それでも前進を諦めることが許されないという現実は、悲しいかな人間の宿命と呼ぶしかないのでしょう。
結果が分かっていて論評するなどというのは、誰にでもできる安直なことです。こうしておけばよかったはずだ、ああすればうまくいったはずだ、などという言い草は、結果を知り切った現在の人々の物差しで過去を計測するような所業から生まれるものでしょう。電気もガスもない、高等教育機関もない、先端医療技術もない、人権思想も何もない時代のことを、それらが比較的備わっている現在の発想・基準・価値観で論断することは、いともたやすいことではありますが、得てして一方的で無責任な批判や放言に終わってしまいがちになります。何故ならば、そのような批判や放言は、その時代その時代の社会文化的または自然環境的な制約条件の中で懸命に生きた人々の心持ちを理解しようとしていないからです。古代の人々が神話を正面から受け止めて信じていたのは、決して彼らが無知蒙昧で、非科学的・非実証的な考え方をする性向をもっていたからではありません。彼らは全身全霊で信じたのです。その信じ方こそが、事物に対して最も真摯に向き合う姿勢だったのです。現代科学の冷めた判断基準で、敢えて言えば現代人の浅知恵で軽々しく一刀両断してはなりません。その時代、その環境の人々が、いかに悩み苦しんで精一杯に考え、生きたかということに思いを馳せて、過去を見なければならないのです。現在の人々が歴史の結末をわかっていても、過去の人々の心持ちと現在に至るまでのプロセスを知らなければ、実は何もわかっていないに等しいということです。過去への批判ではなく、過去から学ぶということ、また過去の人々のメンタリティーを汲み取って共に歴史の道を歩んでみるということ、現在に至るまでのプロセスを共有する中で現在との相違点と共通点を見分けるということ、その上で得られた成果を将来への推進力として活かしていくということ、これら一連の手順の重要性を改めて確認しなければならないのでしょう。我々が必ず踏まえるべき道筋なのです。くどいようですが、歴史や伝統を知るとは、時間軸の最先端にいる現在の我々が自らの立ち位置から過去を断罪することではなく、過去がその結末に至った経緯をよく理解し、さらに現在自分達が答えを探し求めて将来へと歩み続ける中において、過去から得られた示唆を可能な限り引き継ぎ、血肉にしていくということに他なりません。現在あるのは過去のおかげ、将来あるのは過去と現在のおかげなのです。
過去の人々も将来の行方についてはわかりませんでした。それでも日々どうにか「たつき」を立ててきました。過去から将来へ向かうという方向性の中で生きてきました。もうおわかりのように、その人々に対して、現在から過去を見るという方向性でもって考えるようなことがあってはなりません。方向が逆なのです。たとえ我々現在を生きる者が歴史上の結末をわかっているとしても、過去の人々とともに同じ方向へと歩み、考えるという「寄り添い」=疑似体験をすることによって初めて歴史の本当の意味内容が理解されるのだと思います。現在から過去を見ることは、現在を生きる者の特権ではなく、歴史に対する驕りであり、考え方における誤謬に過ぎないのです。繰り返しますが、決して方向性を間違えて事象を捉えてはなりません。恐らく過去に生きた人々も、彼らよりもさらに過去の人々のことを見つめていたでしょうし、敢えて意識して寄り添い、共に歩むという疑似体験を試みて、人生の道標を探し求めていたのでしょう。あらゆる世代によって繰り返されるこれらの営みは、時代、歴史、時間の悠久の流れの中に生きるすべての人間にとって欠くべからざるものであり、取って保たねばならない姿勢・振る舞いと考えてよいのではないでしょうか。
人生の結末なんぞわかっている者は誰ひとりいません。「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを」(在原業平)。この歌のような心境は万人誰でもがその瞬間に抱くものでしょう。しかし、現実にはわからないのが結末の内容であり、従って先行き不透明で視界不良な、時には真っ暗闇の人生を歩むことには、言いようもない不安がつきまといます。この不安を少しでも和らげようとするならば、先人達の歩みを辿って知る以外に方法はありません。それぞれの時代の人々が、それぞれの時代の先人達の歩みに謙虚に教えを乞うのです。つまり、先人達とベクトルを合わせて歩んでみるのです。ベクトルを合わせてものを考えるという視座を忘れずに、今日も明日も過去を過去から見て、将来へ一歩を踏み出すための拠り所を追い求めたいと考えます。
さて、今期第72期もあと2ヵ月余を残すばかりとなりました。皆さんそれぞれの持ち場で一点集中、全力で日々の仕事に携わっていることでしょう。それぞれが掲げる目標を達成するためには、緻密な計画と果断な実行力が必要となります。どの仕事も「真剣勝負」と言われる所以です。但し、意識を集中するということは、時に視野を狭くしてしまいます。周囲に潜むリスクを見逃さない一定の感度領域を持ち合わさなければ、思わぬ事故やトラブルを惹き起こしたり、それに巻き込まれるような事態に直面しかねません。
仕事には過去に成功例も失敗例もあります。何故成功したり失敗したりしたのか。当時の状況や条件の中に自身を置いてみることによって初めて活きた教訓を得られるでしょう。過去を見て諸事感度を高め、これから先を考えましょう。
季節は春。多事多端のうちにあっても春風駘蕩の心持ちを忘れずに。ご安全に。