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第97回「東京タワーとヤマトタケル」

 以前に映画館で観たことはありましたが、最近になってネット配信されているのに気が付き、懐かしく思いながら再生してみた作品があります。東宝配給の『ALWAYS 三丁目の夕日』、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、『ALWAYS 三丁目の夕日’64』の3作品です。1作目が公開されたのが平成17年(2005年)、3作目が公開されたのが平成24年(2012年)になりますから、もう公開されてかなりの年月が経っています。これら3作品のストーリーについては、皆さん既によくご存知のことでしょうし、ここで詳述するよりも、実際に作品をご覧いただいた方が何千倍も感動を呼ぶに違いありません。事実、この作品には大変感動します。何度でも泣きます。時に笑い、またしんみりとします。何回観ても同じです。話の展開がわかっていても、心打たれ、胸に響きます。小理屈はどうでもよいのです。ただただ素直に心揺さぶられるのです。虚飾に満ち、俗世の垢にまみれた人間の本来の「素の心」に直接訴えかけてくる作品なのです。不覚にも涙してしまうことが最初からわかっているので、ハンカチ片手にテレビの前に陣取って平然を装いつつ観ていても、すぐさま涙腺が緩んでしまい、鼻をすする音を誤魔化したところが、何か話すと鼻声になってしまうので、もはや感動を押し隠すのが馬鹿らしくすらなってしまいます。ついには開き直って「ああ、泣けてくる!」と堂々と感涙にむせぶのです。
 西岸良平の漫画を原作とするこれらの映画作品は、昭和30年代の東京の下町「夕日町三丁目」を舞台にしています。「もはや戦後ではない」とされる中、復興のシンボルともなる東京タワーはまさに完成を迎えようとしていました。前を向き、上を目指す人々は、それでもまだ戦争の影を引きずり、その胸に悲しみや苦しみを抱えながら、汗水たらして必死になって毎日を生き抜こうとしていたのです。加えて、夫婦、親子、町内の人々は皆どこかでつながり合い、悲喜哀楽を共有していました。深い愛情、厚い人情で結ばれた人々が、出生、進学、就職、結婚などの人生の岐路において必ず問うこと、それは「幸せとは何か」ということでした。映画の登場人物達が、直面する小事、大事、さらには運命や宿命に翻弄されながらも、美しい夕日に照らされた町を、東京タワーをじっと眺めて、明日への希望を模索する……情感あふれる音楽に導かれて感動は最高潮に達します。評論家連中が何と言おうと、私はこの3作品を名作と評価するに躊躇しません。
 感動のラストシーンを観終わった途端、私は衝動的に東京タワーを見たくなりました。見に行って展望台に上ってみたくなりました。過去に何度も訪れたことはありますが、それでも無性に東京タワーが懐かしく思えてきたのです。思い立ったが吉日、すぐさまネットで「東京タワー・トップデッキツアー」の当日券を予約し、新幹線に飛び乗って一路東京へ!とまあ、これをして行動的と見るか、軽挙妄動と捉えるかはともかく、映画の時代とは違って高層ビル群に囲まれてしまっている東京タワーを一望すると、そうであっても妙にしみじみとしたノスタルジックな感覚が心中に湧いてきたのでした。地上250mの高さにあるトップデッキからの眺望は、開発され発展し尽くした観すらある現代メトロポリスの威容を四方に視認できるものでしたが、その発展と反比例するかのように失われていってしまったものの亡霊のような影も、一瞬うっすらと見えたような気がしました。それは言うなれば「夕日町三丁目」的な生活であり、優しく温かな心持ちのようなものなのかもしれません。そんなこんなの思いに浸りつつ、エレベーターと外部階段を利用して、心地よい風に吹かれながら1階へと下りてきました。その時に同行した子供と映画の話題になり、こう言われました。「ロクちゃんが、鈴木オートの社長さん夫婦に結婚を認めてもらったり、結婚式の当日に『不束な娘でしたが、今日まで本当にありがとうございました』と挨拶したりするところでどうして泣けるのか今ひとつわからない」。えっ、何で泣けないの?そこ、絶対に泣けるところでしょ!……「ロクちゃん」とは集団就職のために青森から上京した「星野六子(ほしのむつこ)」の愛称で、三丁目にある小さな自動車修理屋「鈴木オート」に勤めながら、そこで社長さん一家と家族同様に起居を共にし、ご近所さん達の温かい愛情に包まれ、支えられて成長していき、3作目では好青年の医師と結婚します。青森の実家の両親に対して東京の育ての親でもある鈴木社長夫妻からすれば、まさに実の娘を嫁に出す心境で、うれしくもあり寂しくもあり、ただ末永い幸せを願う気持ちが高まって涙の祝福をしたということなのでしょう。でも、そこで泣ける人と泣けない人がいる……そうか!以前「今になってわかる味」と題した拙文でも触れたように、人は時間の経過により、様々な経験をしたり、立ち位置や視座、ものの考え方に変化が生じるのですが、その変化を経てこそ理解・感受できることがあるのです。結婚したり、子供が生まれたり、その成長を見守ったり、別離したり……。自身に変化が生じれば、映画の同じ場面を観ても感動は異なるに違いありません。
 そこで思い出したことがあります。少し前に御園座でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を観劇しました。この作品は、日本神話に登場する「倭建命(やまとたけるのみこと。『日本武尊』とも表記)」の生涯を題材に、哲学者の梅原猛が原作を書き下ろし、三代目市川猿之助(二代目猿翁)が脚本と主演を務めたもので、学生時代に中日劇場で観た時には、とても驚き感激したものでした。歌舞伎でありながらセリフは現代言葉でわかり易く、衣装は豪華絢爛、ダイナミックな音楽・音響効果に、早替わりや宙乗り、大胆な舞台仕掛けなどの「ケレン」が連続し、休憩を含めて4時間を超える上演時間は、あっという間に過ぎてしまいました。「天翔ける心、それがこの私だ!」。神器・草薙の剣を尾張の国に置いたまま伊吹山の荒神と闘い、敗れて命を落とすヤマトタケルが、遂には白鳥となって天に昇っていくラストシーン。確かに既成の歌舞伎を超えた「スーパー」歌舞伎です。それをまた御園座で観ることができたのですが、今回主人公のヤマトタケルを演じたのは、三代目猿之助の孫、ということは市川中車(香川照之)の子である市川團子(いちかわだんこ)で、まだ20歳とのことです。色々と複雑な経緯があったとはいえ、その年齢で澤瀉屋(おもだかや)のお家芸を演じるというのですから、大役も大役、重責も重責と言えるでしょう。しかし、それを見事に演じ切りました。舞台の終盤には、三代目猿之助が團子に乗り移ったかのように見えましたし、セリフ回しもその声も(勿論、似せよう、真似ようと意識はしていたのでしょうが)三代目猿之助のそれが甦ったかのようで、血のなせる業かどうかは別にして、とても不思議な感覚を覚えました。そもそも舞台のテーマは複雑で、兄弟の葛藤、親子の信不信、波乱の恋愛、妻子への愛情、尽きぬ権力闘争、慢心と虚栄、戦争と平和、生と死、刹那と永遠等々、考えれば考えるほど答えは遠のいてしまうような難しい事柄が随所に織り込まれているのです。それを演じ切った……演じ切ったけれども、果たしてそれら事柄の本意をどこまで感じ取り、理解していたのであろうか。そんな思いが浮かんだことも事実でした。
 先ず大前提として、市川團子のヤマトタケルは素晴らしい名演だったと私は絶賛の拍手を送る者です。ただそれでも、20歳でそこまで人生の深奥や人情の機微が分かるものなのでしょうか。当然のこと、若いから駄目などという短絡的な話ではありません。年長者が先輩面して決めつける類いのことでもありません。言われるまでもなく、私などのように、凡庸な人間が太平楽な暮らしのうちに惰眠を貪って過ごした果ての(かつての)20歳と、團子丈のように、幼少期より厳しい芸道で精進を積み重ねてきて大舞台で主役を張る20歳とを比べ合わせるのは、どう考えたところで無理があろうというもの。されど20歳なのです。若さ故に優れた点もありましょうが、わからぬことも少なからずあるだろうということです。どれだけ濃密な20年間を過ごしてきたとしても、20年のうちに経験し、会得できることには自ずから限度があるように思えてなりません。だからこそ、とても20歳とは思えない名演で観客を魅了する團子丈は、これから先いくつもの舞台と多くの役柄をこなし、広い意味で人生経験を積んで修錬していくうちに、ようやくにして人間の本性とか真心とかいったものを知るようになり、一層演技に磨きをかけていくに違いありません。必ずや芸に深みや厚みが増すことでしょうし、芸風・芸容・芸格いずれも秀でたものになるでしょう。末頼もしい役者ですが、逆に走り過ぎて息切れしないことを願うばかりです。
 ここでは話をもう少し先へ進めてみましょう。すなわち、年齢だけの問題に止まらず、どれだけの体験をし、どのような環境に置かれたことがあるのかについても考えなければなりません。その年になってわかること、その立場になってわかること、つまり自分自身や自身周囲の環境に変化があって初めてわかることがあります。またさらに、そこに至っていよいよ思い知ることは、自分にはまだわからないことが無限大に残されているのではないか、ということなのです。一定の年齢や立場になってわかったつもりになったり、「昔はわからなかったが今ではわかるようになった」気になったり、「ようやくそのものの味わい、意義、事の軽重が分別できるようになった」と自認したりしても、所詮それは「知る道のり」上の一つの通過点に立ったに過ぎません。この通過点の重要性は、何事かをわかるようになったと同時に、それでも依然として十分にはわからないことや全く知らないことがあるという事実を知らねばならぬという点にあるのです。いや、もしかしたら、自分にはまだ知らないことがあることすら知り得ないでいる場合もあるのかもしれません。とするならば、「わかった」とか「知った」とかいう表現や自己判断はとても危ういものであり、軽々にはできないのではないかと構えておくのが至当なのでしょう。「生涯未熟」ということでしょうか。
 東京タワーに上る人、そこから眺められる様々な「たつき」で生きる人々。その誰にとっても「知る道のり」はなおも続きます。
 建設という「ものづくりの仕事」の道も続き、いよいよ第73期が始まりました。
 昨日よりも今日、今日よりも明日……一時点に満足して歩みを止めてしまうことなく、より良いものを目指して精進を続けていきましょう。ゴールのように見えても、そこはひとつの通過点に過ぎません。自らの感性と技術を研ぎ澄まし続けて、当社のモットー「より美しく、より安全に」を実際に追求していくこと、これこそが当社の原点なのです。それに、このモットーには続きがあります。「より高く、より広く、より深く」。建物の高さや面積の広さ、掘削深度のことだけを言うのではありません。ひとりひとりの思いやこころざしにも当てはまる言葉です。
 当社自体も、法人設立70周年というひとつの通過点に立ち、次なる目標に向けてさらに歩みを続けています。今期も全役職員が一致協力して前進し、見事に仕事を仕上げていきましょう。
 暑さは厳しさを増しています。何より健康を第一に考えて。ご安全に。
します。ご安全に。

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