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第101回「熱烈峻厳」

 三笠宮崇仁親王妃百合子殿下におかれましては、令和6年11月15日に御年101歳にて薨去されました。ここに謹んで哀悼の意を表しますとともに、心より御霊のご平安をお祈り申し上げます。

 

 圧倒的な情熱を燃やして事に当たり、安易に妥協を許さない厳しい姿勢で臨むことを「熱烈峻厳」と言います。この四字熟語を信条とする人は世の中に沢山いるでしょうが、とりわけ温厚で、穏和で、物静かでありながらも、「熱烈峻厳」を内に秘めたる人、つまりは「熱烈峻厳」たることを偏に自身の生き方のみに関わることと弁え、決してそれを外部に表さず、ましてや自己顕示の小道具などにしてしまわない人こそ、本当の意味で立派な人なのだろうと思います。私のような凡骨にはとても真似すらできず、足元にも近寄れないような人格者です。こうした情熱と峻厳さをもって、真摯に学問の世界と向き合ったお二方の皇族による著書を紹介するところから今回の話を始めることにします。(前提として用語の整理をしておくと、「皇族」とは天皇以外の「皇統譜に記載された天皇の親族」をいい、「皇室」とは「天皇と皇族で構成される一族」のことをいいます。)
 2冊の著書とは、今上陛下が皇太子時代にお書きになられた『テムズとともに 英国の二年間』(復刊版 令和5年 紀伊国屋書店。以下『テムズとともに』と表記)と、三笠宮彬子女王殿下がお書きになられた『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(加筆・補正版 令和5年 PHP研究所。以下『赤と青のガウン』と表記)です。いずれのご本も、オックスフォード大学に留学された際の体験記となっています。もう既にテレビ・新聞・雑誌などで何度も取り上げられていますし、とっくの昔に読んだことがあるという方も沢山いらっしゃるでしょうから、今更話題とするのも時機を逸した感すらあるというのが本当のところなのですが、陛下や殿下には誠に畏れ多いことながら、拙文にご登場願う次第なのです。恐懼の至りでございます。さらにまた、お二方のご性格やご意志が滲み出てくるような、鮮やかで瑞々しい筆致で書かれた内容をあらすじ紹介なんぞの要約でお伝えしきれるものでもなく、迷うことなく皆様にはご自身でご一読くださることを切に望むところなのですが、それでは話が前へ進まないので、以上のことをご了承いただいたものとして、ささやかながら一歩を踏み出してみることにします。
 今上陛下は、学習院大学をご卒業後、同大学院人文科学研究科にお進みになられました。その間、昭和60年10月までオックスフォード大学大学院マートン・コレッジに留学され、ご帰国後、学習院大学大学院を修了されました。また平成3年にはオックスフォード大学より名誉法学博士号を授与されました。(ちなみに皇后陛下は、ハーバード大学ご卒業後、東京大学法学部に学士入学、外務省外交官となられ、オックスフォード大学ベリオール・コレッジに留学されました。先般、両陛下が英国に国賓としてご招待された際には、同大学より名誉法学博士号を授与されました。)
 お住まいの東宮御所(当時)の外の世界を知り、またその外の世界から日本を見るという陛下の文章から伝わってくるのは、異文化や学問へのあくなき好奇心と探究心、英国王室への敬意、師友への感謝、英国民への温かい眼差しです。ウィットに富み、時にユーモラスに綴られる文章。全文の背景に窺えるのは、「真摯」と「篤実」の2語です。要するに陛下の留学生活は「真面目」であった、即ち、学生としての本分を弁え、それを全うしたものであったことが明瞭にわかるのです。陛下は、2年間の留学生活を通じて、学べる限りを学び尽くし、見分できる限りを見聞し尽くそうとされたのでしょう。陛下ご自身が「おそらく私の人生にとって最も楽しい」とされた2年間。いずれ訪れる天皇即位の日。「再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろう」。離英にあたって抱く惜別の思い、ある現実から別の現実へと戻る覚悟……。輝ける青春の一幕に、優しさと苦悩と使命感が複雑に混じり合った様子が目に浮かぶようです。
 『赤と青のガウン』は、三笠宮彬子女王殿下によるオックスフォード大学留学記です。殿下はご幼少の頃よりお父上の三笠宮寛仁親王殿下から「おまえはオックスフォードに行くんだ」と「繰り返し呪文のように聞かされてきた」と述懐されます。そのとおり、学習院大学3年生の時にオックスフォード大学マートン・コレッジに1年間留学され、大学ご卒業後、改めてオックスフォード大学大学院に留学されました。これにより女性皇族として初の博士号を取得されることになります。本の題名にある「赤と青のガウン」は、まさしくオックスフォード大学で博士号取得者が着用を許される衣服のことをいうのです。
 殿下のご専攻は日本美術で、海外において日本美術がどのように捉えられていたのかを研究なさいました。「十九世紀末から二十世紀にかけて、西洋人が日本美術をどのように見ていたのかを、大英博物館所蔵の日本美術コレクションを中心に明らかにする」、これが博士論文のテーマでした。海外から日本を見る……これ自体が言うは易しで、ましてや海外の人が日本をどのように見ているかを知ることもそれほど容易なことではないのです。エピソードの中にこういうものがあります。殿下が教官から「浮世絵はどのようにみる(鑑賞する)ものなのか」と問われ、その時は急な質問のためお答えになれなかったというのです。研究を深めて学位を得た今となれば一定の回答はできようものの、これはなかなか難しい問いです。そもそも諸外国の人々の中にあって日本人たる自分が一番日本のことを知っていると思うとしても、それはある程度当たっているかもしれませんし、日本人としての自尊心(意地?)から出た思いとしてある意味仕方のないことなのかもしれません。しかし、日本人なら本当に一番日本のことをわかっているのでしょうか。日本の風土や文化の中で生まれ育ち、日本語に取り囲まれて日々を過ごしていれば、知らず知らずのうちに会得する感性やら心持ちやらはあるでしょう。ただ同時に、日本人として日本のことを、または日本人のことを真剣に考えたり、学んだり、研究したりしたことがある人が一体どれだけいるのでしょうか。その上で、日本のことを一番知っていると断言できる人がどれだけいるでしょうか。「日本人なのだから日本のことをあれこれ考えなくとも自然に何でもわかるのだ」という言い方は、一応もっともらしく聞こえても、無知や不勉強を押し隠すための強弁にすぎないのでしょう。結局のところ、諸外国の人々と語り合うためには、「大前提として」先ずは自分の国のことを知らなければならないということです。さらに、自分なりに日本のことを研究したとしても、やはり諸外国の人々による日本への見方を知ることは一筋縄ではいきません。日本人の視座だけでなく諸外国の人々の視座をも確認しなければならないのです。そのためには膨大な資料に当たるとともに、諸外国の文化史や思想史など時間的にも空間的にも射程を拡大し、追究を深めていく必要があります。しかも独りよがりではなく、一定水準の論文にまとめ、まさに外国の人々から公平に評価してもらわなければなりません。学びの道は長く険しく、勿論並みの登山道ではないのです。殿下ご自身が「博士論文性胃炎」と称する症状にお悩みになる事態が出来したとしても何の不思議もありません。「とかく孤独」、「被害妄想という名の恨めしさ」、「時間の狭間に取り残された悲劇の主人公」、「人に会うのを避けるようになっていた」、「熟睡することもままならなくなっていた」……。
 ここで殿下は、少しだけ生活改善を試みられます。気分転換にロンドンにお出かけになり、大英博物館のオフィスへ足を運ばれ、「知人と日本語で他愛もない話をし、笑っているうちにだんだん気持ちが明るくなってきた」……その時殿下はお気づきになります。「独りにならないことって大切なんだ」と。
 陛下と殿下のご本に全編共通する最も大切な事柄は、実にその点にあります。それは、当たり前のことのように思われて、存外忘れてしまいがちなことなのです。陛下は『テムズとともに』において「思い出というものは自分で作る部分も多かろうが、人に作ってもらう思い出も多いと思う。上記の方々の温かい心遣いがあってこそ、当地での私の滞在は実り多く思い出深いものとなったのはいうまでもない」とお書きになっておられます。また、殿下は『赤と青のガウン』で「どんな小さなことであっても、自分ひとりの力では成し遂げることはできない。いままで出会った人たちとの『ご縁』を大切にしながら生きるという私なりの人生哲学のようなものが生まれた」と心情を吐露されています。お二方のお言葉からは、心底からの「感謝」の響きが聞こえてくるようです。
 様々な場面で遭遇する苦難を乗り越えることができたとすれば、それは自身の懸命な努力の結果であると同時に、あらゆるかたちの「ご縁」で結ばれた数多の人々による支援の賜物でもあります。言葉も何もすべてが異なる外国で学問の道を苦闘して歩まれたおふたり。異なる視座を持つ人々と交流を深め、議論を重ね、ひとつの到達点に至った時に知り得たことは、学術的な知識以上に、何より「感謝」の念で結ばれた「心のつながり」であったのかもしれません。それはもしかしたら、多様性の名の下に肯定される諸国間の違い、異なりの中にあっても共通して存在し得る数少ない価値観のひとつに挙げられるのではないでしょうか。違いや異なりを知って初めて同じくする事柄に気づく……。陛下は、「国を越えた一人一人の結びつきは、やがて、国と国や世界中の人々との良い関係を紡ぎ出すものに発展していくものと思う」と仰います。我々は、しばし世界を斜に構えてみることを止め、虚心坦懐、素直な気持ちでそうあってほしいと願うべきなのでしょう。
 真の意味で「熱烈峻厳」なる人は、熱烈なることも、峻厳なることも、自己のみによってなるものではなく、他者という存在との関係性においてのみなり得るものであることを覚知しているに違いない……読後に改めてそう認識したのでした。
 時は流れ、季節は移ろう。その変化は、時としていつもどおりのことのように見え、またいつもとは全く異なることのようにも感じられます。どちらにしても、変化の連続に翻弄されながら格闘し続けていかなければならないのが人間の性(さが)と言うしかありません。
 まさに冬を迎えようとする今、あと1ヵ月で第73期の前半戦を終えようとする今、と言うことは、あと少しで師走を迎えようとする今、日々の仕事や日常生活において緊張感を持続していると、ちょっとした拍子にそれが弛緩し、体調を崩してしまいがちになります。熱を入れて仕事をするのは大変結構なことですが、熱を出してしまってはいけません。
 よい考え方やよい仕事の大前提は心身の健康です。その異常に気付くのは先ずは本人でしょう。しかし、周囲の人に気付かされる場合もあります。健康も安全も相互注意があってこそ確保できます。自分の健康は自分だけがわかる訳でも、自分だけで維持できる訳でもありません。また、自分の心身の状態は、自分以外の周囲の人々へも大きく影響を及ぼします。
 自分ひとりだけで成り立つことなんぞそんなにあるものではありません。自分自身のために、それと皆のために、何よりこころとからだを大切に。ご安全に。

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