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第105回「みささぎに聞こえるのは」

 藤原定子(ふじわらのていし)は、中関白家(なかのかんぱくけ)の藤原道隆と高階貴子(たかしなのきし)との間に生まれた長女で、一条天皇の中宮(のち皇后宮)として、脩子内親王、敦康親王、媄子(びし)内親王の1男2女を儲けました。兄弟の伊周(これちか)と隆家を含む中関白家の隆盛を背景に、定子を中心とする後宮サロンは、才智溢れる清少納言など多彩な女房達が集う、晴れやかで華やかさ際立つ空間だったのです。ところが、その空間に暗雲が漂い始めます。後ろ盾であった父・道隆が亡くなり、叔父・藤原道兼も急死すると、権力の枢軸は別の叔父・藤原道長へと移っていったのです。道長は伊周や隆家と権力闘争を繰り広げますが、伊周と隆家共に花山法皇に弓矢を放つという事件(長徳の変)を引き起こして失脚、事態の激変に衝撃を受けた定子は衝動的に落飾、つまり仏門に入ってしまいます。住まいの二条宮を焼失し、失意の母・貴子も亡くなるなどの不運が重なった上に、落飾した定子は内裏の外にある「職御曹司(しきのみぞうし)」に住むしかありませんでした。しかも定子は、脩子内親王に続いて敦康親王を出産するのですが、ほぼ時を同じくして、道長の長女・彰子(しょうし)が中宮となり、中宮であった定子は「皇后宮」になるという「一帝二后」状態に置かれることになります。道長勢力の栄華の影で、第三子・媄子内親王を出産するも後産が悪く、定子は死去しました。このあたりの話は『栄花物語』に詳しく描写されています。「この殿ばらの御をりに宮の内の人の涙は尽き果てにしかど、残り多かるものなりけりと見えたり(伊周と隆家が配流された「長徳の変」の折に御所内の人々の涙は尽き果てたのだが、それでもまだ流れる涙は多く残っているものであったと思われた)」。
 定子本人の希望により、遺体は火葬にはせず、土葬されました。本来、藤原氏の一族は、中宮や女御などとして入内(内裏に入ること)をした女性も同じように、一旦火葬され、その遺骨は宇治陵(うじのみささぎ。「みささぎ」とは皇室や有力貴族の墓のこと)に埋葬されるのですが、定子はそれとは別の仕方、ひとり鳥戸野(とりべの)の地に土葬されることを望んだのです。藤原一族内の醜い権力争いを嫌厭したためか、敬愛する一条天皇の近くに眠りたかったためか、どちらにしても定子は、最期に自分なりの在り方を貫き通して、来世での静かで清らかな平安を求めたのではないでしょうか。一条天皇もまた、先立った定子に倣って自らの土葬を希望したとされますが、いかなる理由か、京の巌陰の地にて荼毘に付され、今の龍安寺の北にある圓融寺北陵(えんゆうじきたのみささぎ)に葬られました。
 ところで、その定子が土葬された墓所、即ち鳥戸野陵(とりべののみささぎ)は、現在の京都市東山区にあるのですが、そこを訪れようとすると少し道に迷ってしまいます。真言宗の古刹・泉涌寺(せんにゅうじ)方面からよりも、劍神社近くの細い道を辿っていった方がルートとしては比較的わかり易いと思います。(ちなみに、泉涌寺のあたりに、清少納言が晩年を過ごした月輪山荘があったとされることから、境内には彼女の歌碑が五輪塔の横に建っています。)そこで、劍神社側から陵を目指すことにし、両側に住宅が並ぶ細道をしばらく歩きます。それぞれのお宅には自家用車が駐まっているので、車も通ろうと思えば通れるのでしょうが、慣れない者は遠慮した方が賢明なほどの道幅です。住宅が続く割には、偶然でしょうけれども人影は見えず、不思議な静けさに包まれているような感覚がします。そうこうしているうち、左手に石積みの階段が見えてきます。その石段の入口には「鳥戸野陵参道」と彫られた石柱が建っています。「おお、ここか!」と目的地への道が間違っていなかったことに安堵しながら、1段ずつ歩を進めていきました。石段は鬱蒼とした森の中にあるため、木々の影によって暗くなっているところと、木々の隙間を縫って漏れてくる陽光に照らされているところとが、複雑なコントラストで模様を描いています。石段が少し湿っているため、「足元が滑りやすいのでご注意ください」という注意看板があるのももっともなことだなどと納得していると、行く先に数羽のカラスがたむろしているのが見えました。陵を守護する役目を担っているのでしょうか。墓地だけにあれこれ想像してしまいます。
 石段を上り切ると正面に陵墓があります。ただし、実際には何重にも石柵で囲われ、しかもその柵の奥にある森の中に築かれているため、陵墓そのものを見ることはできません。柵のそばには宮内庁による掲示板が建っています。「一条天皇皇后定子 鳥戸野陵」。ここに定子は眠ります。掲示板の説明によれば、この地では圓融天皇の女御で皇太后の藤原詮子など多くの皇太后、皇后、女御が火葬されたといいます。上述のとおり、土葬されたのは定子のみです。私は正面にある森の奥を見つめ、深く頭を垂れて黙祷を捧げました。全くの静寂です。そのはずなのに、本当に不思議なこと、何故か私にはある音楽の調べが頭の中をこだまし、心の中で響いているように感じられたのです。では、その音楽とは何か。
 「主よ、御許(みもと)に近づかん」(Nearer, My God, to Thee)、讃美歌です。どれだけ辛く苦しい日々を送り、悲しみと嘆きの中にあるとしても、慈しみと愛に溢れた神様のいらっしゃる天の国へと近づこう……という趣旨の歌です。作曲は「米国讃美歌の父」ことローウェル・メイスン。あまりにも有名な讃美歌であり、曲にまつわる様々なエピソードも語り伝えられていますし、そのメロディーは恐らく多くの人々が一度は聞いたことがあるものでしょう。例えば、テレビアニメ『フランダースの犬』のラストシーンでも流れていました。ベルギーのアントウェルペン(アントワープ)聖母大聖堂にあるルーベンス作の祭壇画「キリスト昇架」と「キリスト降架」。主人公の貧しい少年ネロは、どうしてもその絵を一度見てみたかったのですが、有料のためそれは叶いませんでした。ところが、雪降るクリスマスの夜、疲れ果てて行き着いた大聖堂では偶然その絵の覆いが外れており、ネロは念願叶ってルーベンスの作品を見ることができたのでした。しかし、そこでネロは力尽き、愛犬パトラッシュとともに天国へ召されました。……この場面で使用された曲が「主よ、御許に近づかん」という讃美歌でした。純粋な心を持ちつつも、悲運と不幸の連続の末に息絶えた少年をそのまま神が見捨てるでしょうか。ネロとパトラッシュのまわりには天使達が舞い降りてきて天国へと誘っていきます。死を迎えてようやく永遠の安寧と幸福が得られるという場面を見ると、深い感動を覚えるとともに、そこに多少なりともやりきれなさが残るのも事実です。ともかくも、崇高で慈愛に満ちた調べに涙は止まりません。
 もうひとつ挙げるならば、映画『タイタニック』の例でしょう。氷山に激突し、沈没していく豪華客船タイタニック号。救命ボートや救命具の数も限られているため、乗客・乗員全員が助かる訳ではありません。船内が大混乱に陥る中、自分達も助からないと悟った船内楽団員のひとりがバイオリンでこの讃美歌を演奏し始めます。逃げ惑う人々の狂騒の真っ只中にあってです。すると他の楽団員達もひとりまたひとりと戻ってきて合流し、皆で曲を奏でるのでした。最期を迎えようとする人々のために、また自分達自身のために。映画の中では、彼らの演奏する音楽を背景として、船とともに人生を終えねばならない様々な人々の姿が描写されます。死を受け容れざるを得ない無念にうなだれる紳士、底知れぬ恐怖を感じながらも安らかに最期を迎えようとする老夫婦、子供達に添い寝して愛情を注ぎ続ける母親……。「主よ、御許に近づかん」。永遠の光に近づくとしても、これは何という悲しみであろう!まさしく効果的な選曲で、これまた涙に咽ぶこと間違いないでしょう。
 「涙は尽き果てにしかど、残り多かるものなりけり」。栄華の絶頂から悲劇のどん底へ。そのどん底から抜け出し解放されるためには、自らの死を引き換え条件にするしかありませんでした。それと土葬を選択するという現世へのささやかな抵抗、いや自我を突き通したということでしょうか。定子は大地に還り、魂はより高き所から一条天皇を待つ……そこに新しい「幸福」のかたちを求めたように思われます。「主よ、御許に近づかん」の調べが鳥戸野陵に聞こえたとしても決しておかしなことではありますまい。定子の境遇に思いを致し、陵墓の光景を虚心に眺めれば、必然に思い浮かぶ曲であり、魂に響く旋律なのです。
 神道や仏教の死生観、現世と来世の捉え方は、キリスト教のそれとは勿論異なります。言語を始めとする文化的背景からして違うでしょう。ただ、どのような角度から人間を見つめるとしても、その視線の先、つまり興味関心の対象には、生と死、幸と不幸という大問題が厳然として在ります。誰にとっても避けられず、無関心を装うことすらできない事柄です。大袈裟に言えば、人類のあらゆる営みは、この事柄を核心として展開されているといっても過言ではないでしょう。いつ、いかなるところでも共通のテーマ、不変・普遍の課題です。
 そう考えてくると、この大問題をテーマにした音楽、それを始めとしたあらゆる芸術作品には、洋の東西や時代、言語や思想信条、各人の文化的立ち位置を超える力が秘められているように思われてなりません。万人に響きをもたらす力です。その力によってもたらされる感動が、あらゆる違いを乗り越えて、誰にでも享受されるものであると気付くとき、それがどれだけ脆く儚いとしても、我々は、人々の間にうっすらと見え隠れする「つながり」を認めることができるのでしょう。その瞬間にこそ、悲哀は歓喜へと姿を変え、人々は明瞭明確な「光輝のかたち」を目前にするのです。あるコンサートで「主よ、御許に近づかん」が演奏され、自然に肩を寄せ合い涙を流す外国人聴衆の様子がテレビ放映されたことがありましたが、この様子は、キリスト教を共有しない人には理解できないことでしょうか。いや、決してそんなことはありません。鳥戸野陵に眠る定子も、そこに参る者も、必ずや感動を分かち合えるはずです。
 しばし陵墓を見つめ、清らかな音色を耳にしながら、鳥戸野の地を後にしました。帰り道は変わらず静寂に包まれていました。
 さて、第73期は4分の3を終え、いよいよ最終コーナーへと入ります。1年間をひとつのストーリーとして例えるならば、「起承転結」の「結」の部分に当たります。つまり、すべの総まとめとして結果を出す「締め括り」の段階に入るということです。当然ながら、1年で終わる仕事ばかりではなく、決算期をまたぐものもあるでしょう。しかし、会社としては1年間をひとつの決算期として、期末をもって「総括」しなければなりません。その意味で、皆さんひとりひとりは、この「総括」の当事者になる訳です。期末に至るまでの「結」の期間、問題を先送りせず、早期解決を図り、少しでも利益を上積みできるよう、最後の最後まで一切の油断を排することが不可欠となります。その上で、お客様からは信用と信頼を得られるよう、また第三者には安心感を与えられるよう心がけて仕事に励み、見事結了を迎えられるようにしたいものです。
 各人が取り組む仕事はそれぞれに様相を異にしますが、そうであっても、心奥でベクトルを共有してつながり合い、共に今日の一歩を踏み出すことにしましょう。ご安全に。

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