IWABEメッセージ
第7回 「流星」
新春恒例にて、年初に熱田神宮、翌日には伊勢神宮の外宮・内宮、本居宣長ノ宮(松阪)にお参りし、今年は外宮別宮の月夜見宮にも参拝しました。柏手の音も高らかに、昨年のお礼と今年のお願いを申し上げてきました。4日には全社員で成田山に詣で、工事安全と交通安全のお護摩祈祷を受けるとともに、各団体が主催する安全祈願にも当社社員が参加、平成29年の幕開けに相応しく心構えと決意を新たにしたところです。
その上で、年始ながら、敢えて書いておきたいことがあります。
話は、お伊勢参りに戻ります。
正月の伊勢路は混雑するため、深夜1時半に家を出発、約2時間で神宮外宮に到着しました。途中、街路灯が無い区間では、彼方にある山々が漆黒の闇の中に不気味にその稜線を見せてこちらを威圧しているようでした。僅かばかりの民家の灯りと自分の車のヘッドライトだけを頼りに夜道を行く者としては、その山々に畏怖を感じざるを得ません。まさしく古代人が自然界に畏怖心を持ち、そこに超自然的な存在を感じたという素直な感性(これこそ日本人の信仰の淵源です)に共鳴した瞬間でした。
まさにその時、目前に流星が赤い尾を引いて美しく輝き、一瞬のうちに消滅しました。
流星を見て3回願い事を唱えればそれは叶うという言い伝えがあります。しかし、アンデルセン童話『マッチ売りの少女』の中で少女のお婆さんが「星が流れると、ひとつの魂が神様のところへ昇っていくんだよ」と言っているように、それは人の死を暗示するものだという見方もあるようです。人生は、吉凶、幸不幸、生死どれも表裏一体ですから、どちらの見方ももっともで、それぞれ意味深いものに思われます。
流星を見た翌週、義父が亡くなりました。妻をはじめ家族親族の悲しみは言うまでもありません。病院で対面した時、義父は、あらゆる苦痛から解放されたような穏やかな顔をしていました。お疲れさまでした、ありがとうございました、と手を合わせて拝みました。義父には本当にお世話になり詰めでした。医師として、人生の先輩として、多くの示唆を与えてくれましたし、会長の最期にあたっては、「いのち」への向き合い方をズバリ教えてくれました。感謝の一言に尽きます。
義父は、まるで流星の如く、見事に輝き、医術をもって多くの人々を救い、その家族親族に見守られながら、しばしの明滅ののち、静かに消えていきました。
改めて思うに、人の一生に遭遇する様々な出来事の多くは暦とは関係なく起こり、しかも時間は何事も無かったかのようにその流れを止めません。なおかつ、そうした流れの中で漫然と泳ぎ続ける人間に与えられた時間は「有限」なのです。ところが案外そのことが自覚されにくい。
頓知で有名な一休さんは、正月に竹の先に骸骨を付けて家々を回り、「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と歌ったとされます。恐らく「正月でお祭り騒ぎになって大切なことを忘れてはいないか、流星が儚く消えるように人生は有限である、だからこそその有限の中で1日1日を充実させ、よりよいものにしていこうと努め、工夫する歩みを積み重ねるべきではないか」と説いているのでしょう。その積み重ねの結果、人は輝き、明るく燃え盛るようになるのかもしれません。
本居宣長は言います。人は夜見の国に行ってしまったとしても、まるで火が別の場所に移されるのと同じことで、火さえ大きくあれば遠くへ行っても光はすぐには消えず私たちに届くように、しっかりと生きた足跡を残すことで人々の心の中で確実に生き続けられる、と。
「人の一生」も「仕事」も同じことではないでしょうか。限られた時間、限られた能力、限られた資源をいかに活かすことができるか。心力を尽くして、丁寧なものづくりに取り組むためには、今年1年何をしなければならないか。
正月は神仏に祈るだけでなく、人事を尽くすために一念発起するための大切な機会であり、無限の中に生きる有限を再確認する貴重な節目に相違ないでしょう。
新年早々理屈っぽくなり、少々反省しています。ご容赦ください。
それでは皆さん、今年も明るく元気に、基本に忠実に、丁寧に仕事に取り組んでいきましょう。ご安全に!