IWABEメッセージ
第12回「南吉の気付き」
新美南吉(1913-1943)は半田出身の児童文学作家です。小学校の国語教科書で彼の『ごん狐』が取り上げられていることもあり、多くの人々に知られ、また親しまれています。
私は児童文学の専門家でもなければ、南吉の研究者でもないので、この地方における一読者としての感想しか持ち合わせていませんが、彼の作品には、のどかな田舎を舞台とした、滑稽でほのぼのとした場面も見られるものの、どうにも切なくてやりきれない、暗く悲しい描写が印象に残ってしまいます。これは、彼の生い立ちから来ることなのかも知れません。
南吉は、父・渡辺多蔵と母・りゑの次男として生まれ、正八と名付けられました。りゑは、正八が幼少の頃若くして亡くなり、多蔵は後妻として志んを迎えます。正八にとっては継母となるわけです。(当社創業者の岩部岩五郎の妻・よねは志んの実姉になります。)
この後、多蔵と志んとの間に弟・益吉が生まれます。正八は新美家へ養子に出され、渡辺正八から新美正八となりますが、程なく新美姓のまま実家に戻ります。従って、南吉の本名は新美正八、南吉はペンネームなのです。
継母の志んは、優秀な南吉の才能を認め、実の子と分け隔てなく南吉に心を配るものの、幼くして実母を亡くした多感な南吉からすれば、気を遣われれば遣われるほど継母を嫌悪してしまい、素直になれなかったのでしょう。よくある話です。誰が悪い訳でもない、微妙な割り切れぬ思いが刺々しい態度に姿を変えて現れ、人と人との衝突を生んでしまうのです。
この複雑な感情に加え、南吉には貧苦と病苦がありました。
当時は皆が貧しかったのです。他人に手を差し伸べる余裕などなく、毎日生活するのに精一杯だったのです。「進学なんかしなくていい、とっとと働け」という考え方が当たり前の時代、南吉は何とか東京外国語学校(現在の東京外大)を卒業します。しかし、病弱で結核を患い、喀血を繰り返す中転職を重ね、安城高等女学校(現在の安城高校)の教員を退職後は実家に戻り、29歳の若さで永眠します。
実母の思い出薄く、父、継母と異母弟の居る実家にも、また老人しかいない寂しい養家にも居場所がないと感じ、心満たされぬ孤独感に苛まれるだけでなく、溢れんばかりの才能や旺盛な創作意欲とは全く無関係にその前途に冷酷にも立ち塞がる絶対的な窮状と絶望的な病状に悲観する中で、恐らく南吉はある種の諦念を覚えていたのでしょう。それはまた、経済的・肉体的困難を含めた不運な環境を呪い恨み、さらには自らの感受性とその発露であるはずの作品群がなかなか広く評価されないという「世の不条理」に静かな怒りを抱いていたと言っては言い過ぎでしょうか。どれだけ才能があっても、どれだけ熱意をもって努力しても必ずしも評価されたり、良い結果に終わるわけではない……。『ごん狐』の悲しい結末には南吉自身の諦念が表現されているような気がしてなりません。
『おじいさんのランプ』という作品があります。苦労してランプ売りになった主人公が、ランプから電気の時代へと移り変わる文明の流れに抗して、電気導入を決めた区長を逆恨みし、区長宅への放火を試みるのですが、マッチを忘れ、火打石しか持って来なかったのでなかなか火が着かず、古臭いものは役に立たないと思わず口走るのです。その瞬間、自分の売るランプとてもはや役立たずの時代遅れではないか、自己中心的な動機で文明社会の進歩を邪魔したり、世間を恨んではならないのではないか、それはみっともないし意気地無しのやることだ、と気付き、運命を受け容れて、涙ながらに手持ちのランプに石を投げて次々に割ってしまうのです。
私は、このドラマチックな「気付き」こそ南吉文学の真骨頂だと思います。何事かに気付いた時には、瞬時に事態を把握して自らの愚行を止め、大いに反省して次なるステップ、新たなる世界へと歩を進めるのです。
我々の日常生活や仕事においても、この「気付き」が大切です。不明な事柄、異常な事象、危険な事態が発生した時に、先ずはそれを見逃さない感度を養い維持していくことが不可欠となりますし、その感度を活かして気付けるだけの「心のゆとり」が必要となります。「心のゆとり」がなければ、小さな変化に気付かず、見過ごしてしまうどころか、そもそも気付こうとすることすらしないでしょう。その上で、「気付き」の結果、それを放置せず、すぐさま対処してリカバリーし、損害を最小限に食い止めることが求められているのです。まさに「転ばぬ先の杖」と言えましょう。
南吉が『おじいさんのランプ』を刊行した晩年頃に、世の不条理への怨念や報われぬ境遇への不満以外の「何か」に気付いたかどうかはわかりません。ただ、いかなる艱難辛苦に直面しても、そこに僅かばかりの光明を見出した、即ち、温かな笑顔で遠く未来を見つめる人間、その「人間性」への「信」をどうにか1本の糸として作品に織り込むことができたように思えてならないのです。
死に直面した南吉の心には、もはや余計な夾雑物など何もなく、澄み切った純粋な感謝の思いしかなかったでしょう。すべての苦悩を捨象したあとに、ようやく姿を現した南吉の「素の心根」「温かい眼差し」。様々な縁とつながれた人生に幸福を感じながら、心は岩滑の田園を駆け巡り、狐や牛や鰻と戯れていたに違いありません。
あれから1年。会長は南吉と何を話しているのでしょうか。
ご安全に。