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第20回「吉備津の釜」

 江戸時代、松坂の国学者で『古事記伝』著者として有名な本居宣長は、大阪の国学者・上田秋成(うえだあきなり)と論争し、その内容を『呵刈葭』(「かかいか」または「あしかりよし」と読む)という著作にまとめました。2人の間では「古代日本語の発音」と「日の神」について激しい議論が交わされたのです。詳細については省略しますが、秋成の主張は、今風にいえば「相対主義」に立っており、現代人には馴染み易い、進歩派知識人好みの考え方に依るもので、他者に配慮した穏当な見解に見えながら、実はそこからは何らの答えも打開策も導き出せない「静止した思想」であるように思えてしまい、その点やはり宣長の主張の方にシンパシーを感じざるを得ないというのが私感です。
 特に秋成の方は、余程宣長のことを意識しているのか、『胆大小心録』という著作の中で宣長を「尊大のおや玉」とか「古事記伝兵衛」などと揶揄して強烈に攻撃しており、ある意味偏屈な秋成の個性がよく現れているとも言えます。秋成目線でこの2人を扱った小説『雨月の人』(篠田達明著・海越出版社)でもそうした秋成の性格やら反骨精神が活写されていて、専門的なことを離れても面白く読むことができます。
 ところでこの2人は共に、岡山県にある吉備津神社に関係があるのです。宣長の弟子で、彼の鈴屋学派の中心的存在となる藤井高尚(ふじいたかなお)は吉備津神社の神官であり、また秋成の著した怪談集『雨月物語』には「吉備津の釜」という話が出てきます。
 そもそも吉備津神社は、備中国の一の宮という社格を誇り、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を御祭神とし、室町期建立の本殿と拝殿は巨大かつ優美なスタイルが特徴的な所謂「吉備津造」建築として国宝に指定されています。大吉備津彦命は昔話の主人公・桃太郎のモデルとされ、犬飼健・楽々森彦・留玉臣という3人の家来を引き連れて、温羅(うら)という鬼を成敗し、その首を神社の釜の下に埋めたという伝説が残されています。温羅はその首を埋められてもなお唸り続けましたが、自分の妻・阿曽媛(あそひめ)に釜の上で神饌(ここでは玄米)を炊かせれば唸ることを止め、今後は吉凶を占う役割を担おうと言うので、今でも阿曽女(あそめ)と呼ばれる巫女が神事に携わっています。この神事こそ「鳴釜神事(なるかましんじ)」と呼ばれる珍しい神事なのです。
 元々は白木造だったのが長年燻され煤けて黒い建物となった御竃殿(おかまでん)には、蒸籠(せいろ)が置かれた湯釜があり、神官が祝詞を奏上している間に、阿曽女が湯気立つ蒸籠の中で玄米の入った器を振ったその時に、豊かに長く音が鳴れば吉兆、荒々しく鳴ったり無音の場合は凶兆と占われる訳です。
 『雨月物語』の「吉備津の釜」とは、この鳴釜神事を無視して結婚しただけでなく、他所の女性を選んで逃げた放蕩息子・井沢正太郎が、その彼に尽くしきった挙句に裏切られて怨霊となった妻・磯良(いそら)に呪われ、せっかく陰陽師が対処法を伝授するも徹底せず守らなかったために悲劇的な最期を迎えるというストーリーです。しかも、この話の鳴釜神事では、本来吉と出れば牛が吼えるような音がするはずのところ、秋の虫が草むらで鳴く声ほどの音さえ聞こえなかったとされ、その上に「無音だったのは神事の担当者がきちんと身を清めていなかったからだ。もう結納も済ませているのだから今さら後戻りはできない」として結婚を強行してしまうという展開で、読者としてはどうにも後々の波乱を予感せざるを得ないことになりましょう。
 ここまで説明が大変長くなりましたが、要はこの吉備津神社に先日当社役員にて参拝してきたのです。京都・伏見稲荷大社と香川・岩部八幡神社に参拝し、昨年の御礼と今年の御願を申し上げ、工事安全・商売繁盛を祈願するというのが新春恒例の行事となっているところ、今年は瀬戸大橋を渡る前に岡山で途中下車して吉備津神社にも寄ったのです。1つには国宝建築を見学するために、もう1つには鳴釜神事を受けるために。
 祈祷殿にてお祓いを受けてのち長い回廊を通って御竃殿へと向かいます。一同緊張の面持ちの中、阿曽女の方に神事等の解説をしていただいているうちにご神官入場、祝詞奏上となります。そこで阿曽女の方が玄米の入った器を蒸籠の中に入れると・・・・・鳴りました、見事に鳴りましたよ!重低音のハウリングのような音が豊かに、強く、長く、しっかりと聞こえました。これは素晴らしい吉兆に相違ありません。直会にいただいた干した玄米を噛みしめながら、今年1年を乗り切る勇気を与えていただいた気がしました。
 飛行機、電車、自動車に乗り、コンピューターやスマホを使いこなし、物理学なり遺伝子工学を究め、AI全盛時代を迎えようとする現代科学文明の真っ只中にどうにか生息している有機体・人間。その人間が、釜の音が鳴るかと息を詰めて沈黙し、極度に緊張するなか正面に目を凝らし全身を耳にして正座して待つ姿は、何とも非自然科学的光景に見えるのかもしれません。しかし、この様子にこそ人間の本当の素の姿、偽らざる心情を垣間見た気がします。そこには科学技術の進歩に反比例して失われつつある「人間性」が明確に存在しているのです。人間の豊かさ、奥深さ、温かさと言い換えてもよいこの特性は、反比例曲線が極限まで行ってもXY軸と交わらないように、決して完全には消滅しない、即ち絶対にAIには理解できない(乗り越えられない)人間最後の砦であり、無色透明・無表情・無感情とは全く異なる色彩溢れる「何ものか」であって、人間が究極の価値判断をするために必要不可欠となる光源へと繋がるものであるに違いありません。
 古来消えることなく燃え続ける神火によって立ち上がった湯気の揺らめきを見つめながら、耳を澄まし、音に思いを致しました。
 釜の音は鳴りました。今年はよい年になるという吉兆と捉え、このうれしさを胸に、引き続き緊張感を持って人事を尽くし、仕事に邁進していきましょう。ご安全に。

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